顏もないのに笑ってやがる/ただのみきや
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- Lucy 
最終連に強く惹かれました。
今日一日、秋は怖いほど冴え渡った晴天でしたね。
- 由木名緒美 
- 朝焼彩茜色 
タイトルが粋に思いました。
微笑み。
- 北大路京介 
- 殿上 童 
- 夏美かをる 
いつもながらお見事!
- beebee 
- イナエ 
- たからじま 
- そらの珊瑚 
秋の空、ただのさんにかかるとこんなにもイマジネーションが膨らむのだなあとただただ感心します。
(白知ってなんでしょうか?)
- 芦沢 恵 
- ヒヤシンス 
- りゅうのあくび 
ネットへの風刺が利いています。
強度のあるメッセージがあって流石です。
- 梅昆布茶 
- オイタル 
- 瑞海 
- あおい満月 
- やまうちあつし 
- 生田 稔 
- 泡沫恋歌 
- 余韻 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- アラガイs
酷いタイトルですね。吐き捨てられたような美しくはないタイトルです。「顔もないのに笑ってやがる」 とはどういうことでしょうか。ちょっと紐解いてみましょう。顔がないのに笑えるとは、口もないのに笑ってることになる。つまりこのタイトルからはメタを含ませた有り様のない何かを探りあてなければいけない。それは何に向けられているのか。携帯からなので細かく文を抜き出して解説はしませんが、そのヒントになる言葉は書かれてあると思う。。読めばたっぷりと空けられた間の中で、かなり烈々と呪うような語りが二行編成で置かれている。(おまえもおんなじ 襤褸だねえ ) (おれ一人 八つ裂きにして) ここから読み取れるのは、この怨嗟を語る自身(俺)の言葉たちが誰に向けられているのかと云うこと。上記された(おまえも…)とは一体誰を指すのだろうか。見渡せば自分の他に誰かを指示するように描かれてはいない。(空一枚 鉤裂きにして)( カモメになれず…失速した祈り紙飛行機 )(月のように… 秋は風と光でできた女…詫びも錆びもしない… )これら眼にするものは否定され、音や季節といった感覚は月や女に喩えられている。強い響きは反発を促すように自然の風景やモノに向けられています。
つまり「顔もないのに笑ってやがる」とは、人の顔でもないのに常に表情を変え、我々を自身を慰安へと導く存在である自然の営み。鏡のように自身の気持ちをも反映してしまうこの自然に対して、どこにも吐き捨てられない苛立ちをぶつけているのです。このように考えてみるとタイトルの「顔もないのに笑ってやがる」けっして美しくはないが、ただ醜いとも思えない。と、言えるのではないでしょうか。
しかし、深読みにしてもこうして意味を拾い読んでいくと大抵わるい詩には読めなくなるから詩は不思議です。思い込みとは故に怖い(笑)拙にて失礼いたしました 。


曖昧箇所再訂正あり

※面倒だけど画面に切り替えるべきかな。ガラケーからの書き込みはこれだからやだ´`。。たぶんこれからも。長文のレスは見逃してやってください。追記…脱字修正 。


 
作者より:
 読んでいただきまして、ありがとうございました。

 プレセペM44さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 最期の一行はわたしも気に入ってます。
 一日たってから返事を書いていますけど、本当に昨日は見事な秋晴れでしたね。

 有希穂さん、ポイントありがとうございました。

 朝焼彩茜色さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 投稿する直前まで「顔もないのに笑っている」でしたが、ちょっと勢いづいた感じで す。
 
 北大路京介さん、ポイントありがとうございました。

 殿上 童さん、ポイントありがとうございました。

 たけしさん、ポイントありがとうございました。

 夏美かをるさん、ポイントとコメントありがとうございました。

 beebeeさん、ポイントありがとうございました。

 そらの珊瑚さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 若干負のイマジネーション渦々でした。
 「白知」は間違いでした。「白痴」でした。ご指摘ありがとうございます。早速訂正します。

 イナエさん、ポイントありがとうございました。

 たからじまさん、ポイントありがとうございました。

 芦澤 恵さん、ポイントありがとうございました。

 ヒヤシンスさん、ポイントありがとうございました。

 竜野息吹さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 具体的な言葉の連結で具体性のない抽象性の高いものを描きました。美しく鋭く秋らしく…。

 梅昆布茶さん、ポイントありがとうございました。

 アラガイさん、コメントありがとうございました。
 大変優れた読解者だと思います。間違ってはいませんが、意外で美しく鋭く秋らしい
 そんな言葉の創作を狙って楽しんでいたのも事実です。客観と主観のどちらが真実か、
 どちらも相補うものでしょう。万物は神の栄光を現し、また自然は第二の聖書、そして
 聖書は読む者の心を映す鏡です。美しい自然を見つめ、わたしの醜い葛藤や
 穢れが写し出されることはある意味当然と思います。わたしは自然の美しさを詠い、
 またそこに映し出された自分をそのままではなく詩という新しい創造として詠います。
 わたしも他の人の詩に好みがありますから、他の人がわたしの詩を好みじゃなくても
 いたしかたないことです。叙事と抒情の引き合いぶつかり合う狭間でトランプみたいに
 ぱらぱら飛ばされて行くペルソナ、そんなイメージです。
 
---2014/10/16 21:21追記---

 フランケンギュノスさん、ポイントありがとうございました。

---2014/10/17 22:25追記---

 オイタルさん、ポイントありがとうございました。

---2014/10/18 20:22追記---

 瑞海さん、ポイントありがとうございました。

---2014/10/19 10:29追記---

 あおい満月さん、ポイントありがとうございました。

 やまうちあつしさん、ポイントありがとうございました。

 生田 稔さん、ポイントありがとうございました。

---2014/10/22 18:33追記---

 泡沫恋歌さん、ポイントありがとうございました。

---2014/10/23 20:04追記---

 まちこの町さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 そうですね四季も自然も、美しいものには同時に冷酷さや残酷さも伴っているように
 感じる時があります。どちらも人間目線ですが。

---2014/11/08 17:38追記---

 余韻さん、ポイントありがとうございました。


---2015/01/04 11:47追記---

訂正履歴:
ご指摘いただき「白知」を「白痴」へ間違いを訂正しました。14-10-16 21:24

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