『戦争詩歌集事典』高崎 隆治より、戦争詩を考える。/こひもともひこ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 非在の虹 
はっきりした事は言えないですが、「心情としては書きたくなくても、戦争協力詩を書かざるを得なかった詩人が多くいた」とは言えないと思います。
多くの戦争協力した文学者は、「愛国」にマジ燃えてたようです。
戦後、反戦的姿勢を示した文学者の中にも大政翼賛会で働いていた人が多くいたようですし。
むしろ戦中に反戦思想を持っていた文学者、詩人を探した方が困難ではないでしょうか。金子光晴と他には?
---2015/10/03 00:27追記---
実際はわからない?推測は出来るのです。それが歴史を知るという事です。
反戦思想を持った文学者は投獄されてますから、そういう人々、瀧口修造や京大俳句の人々などはそうでしょう。
ちなみに、戦争協力の文章を現在探す困難は当時の文学者、詩人がみずから全集などから削除してしまった事にあるようです。
---2015/10/03 00:33追記---

---2015/10/03 00:36追記---
あなたはすごく優しい人で、「苦渋の中で国家に協力した人が多い」と考えてらっしゃるよーですが、それは現在から感じる考え方で、戦争は十分に賛美にたる行為だったのです。
---2015/10/03 00:41追記---

誤解なさっちゃいけない。僕はあなたの作品を非難してるんじゃないです。
戦後、自ら削除してしまった作品群の発掘は困難だと思います。
がんばって下さい。

---2015/10/03 00:44追記---
金子に関しては、国家協力はないようです。
ネットなど検索して出てくるレベルの問題ではありません。
- アラガイs 

よく調べてきて勉強家だよねこひもさんも。歴史は繰り返される、 とは言ってみても、やっぱ古いよね、思想自体が。あたま痛くなってしまう。無論参考文献だけに留めて置くつもりでしょうけれど。


たまに新聞マスコミで紹介してたりするけど、専門家に訊いたりしても、なかなか手に入り難いんじゃないかな。よく調べれば其なりの詳しい内容物は手に入るんじゃない。大きな図書館。例えば国立。神田辺りの古書店には? でも詳しく調べてどうすんの?ちょっと僕にはわかんないね。

- るるりら 

- ありか 
- あおば 
これらの詩は殆ど初めて読むものが多いのですが、
これらの詩の齎した語感リズムなどが、私の身体に染み入っているのを感じます。
だから、主義、主張、政治性が感じられないと物足りなくなります。純文学とはのんきなものとの意識がどこかに有るのでしょう。
- たけし 
- 陽向∮ 
- 乱太郎 
- 夏美かをる 
大変勉強になりました。この散文は“保存版”にしたいと思います。
- とよよん 
戦時中は、すべての感情的、文学的表現が規制されていたと思ったので、Twitterを拝見していても目からウロコでした。敵も味方も関係なく、人間愛が表れています。戦後、規制が緩やかになってから戦時中の思いや経験を描いたものもあるようで、気になっています。
- レタス 
- そらの珊瑚 
戦争協力詩を書いた詩人の方々の当時の胸の思いのほんとうははかりしれませんが、「詩を捨てて、詩を書いた」(高村光太郎の詩から抜粋)
という一文がそういう時代にほんろうされてしまったのだと思われて、非難する気持ちになれませんでした。
戦争協力詩の戦時においての役割は、平和の世において180度違った意味を持つとしたら、こういった詩を残すことに大変意味のあることだと思います。
読めてよかったです。
ありがとうございました。
---2015/10/09 18:04追記---

---2015/10/09 18:06追記---
- Lucy 
- 媒体 
- 祥希いつみ 
- 藤原 実 
とても参考になりました。ありがとうございます。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ふるる
以前、西條八十全集を借りた時、第四巻が「時局詩・少年詩」で、膨大な量の戦争協力詩でした。
その後、『西條八十』筒井清忠著 を読んで、どういう心境でそれを書いたのか分かりました。
つまり、日本が負けることは分かっていて(新聞社の要請で3度ほど戦地を視察していた)でも止めることはできないので、せめて、戦地に赴く教え子を励ましたい、という思いから、美辞麗句満載の時局詩を作った、というものです。
憎しみや戦争賛成以外の動機でも、時局詩は書けてしまうのだなと思いました。

拙文「借りた詩集 西條 八十全集」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=211878
にどんな詩か、真ん中らへんに書いてありますので、ご興味がありましたら。
こちらにも書きましたが、時局詩が戦後詩に与えた影響と言えば、体制への批判なき詩、死をも美辞麗句でうっとりさせてしまう詩、は無意識に避けられたのではないでしょうか。

反戦詩で思い出しましたが、日中戦争の頃ですが、鶴彬(つる あきら)という人が
「手と足をもいだ丸太にしてかへし」や「屍のゐないニュース映画で勇ましい」「胎内の動き知るころ骨がつき」などの壮絶な反戦川柳を書いています。
 
作者より:
ポイントおおきに!

非在の虹さん:コメントありがとう。
「戦争協力詩を書かざるを得なかった詩人が多くいたであろうことの理解はできる」のであって、実際にどうだったのかはわれわれには分からないことだと思います。

 >金子光晴と他には?

「金子光春 戦争協力」で検索してみるといいよ。実際に戦争協力詩を書いたのかどうなのかは実物を見ないと分からないけどね。

 >「愛国」にマジ燃えてた

という考えの人がいたことが難しいところですね。

 >実際はわからない?推測は出来るのです。それが歴史を知るという事です。

だから実際に刷られた書物の引用を載せたわけなのですが。
「書かざるを得なかった(のかどうか)」という他人の心境をどうやれば分かるのでしょうか? 
あと、この散文に取り上げた作品をちゃんと読んだのでしょうか? ここに取り上げたものはどれも、戦争協力詩ではありませんよ。

 >あなたはすごく優しい人で、「苦渋の中で国家に協力した人が多い」と考えてらっしゃるよーですが

うーん・・・それを感じ取れるかどうかを詩作品から読み取ってちょ。だから実際に書かれた作品を提示したわけですので。

 >戦後、自ら削除してしまった作品群の発掘は困難だと思います。

だから発掘困難なものの一部を提示したわけです。ちゃんと作品を読んでちょ。

 >誤解なさっちゃいけない。僕はあなたの作品を非難してるんじゃないです。

ポイントを入れてくれた時点で、非難しようという意図がないことは理解しています。

 >金子に関しては、国家協力はないようです。

「ようです」と言われてもね。
実際の作品を見たわけではないので仮定の話ですが、金子さんですら戦争協力詩を書いていたとすると、「戦争協力詩を書かざるを得なかった詩人が多くいたであろうことの理解はできる」と書いた私の文章と繋がるのではないでしょうか。


アラガイさん:コメントありがとう。 
「古い」って・・・。戦前・戦中・戦後詩を集めた最新の資料があるのなら教えてください。

 >でも詳しく調べてどうすんの?ちょっと僕にはわかんないね。

その理由も書いてたんだけど、この作品では省いています。
動機はこんな感じ↓

 旧約聖書の『創世記』を読み終わると、まるでタイミングを計られたように古本屋に出現した『ヨブ記』を読んでいる。同時に、セネカ、マルクス・アウレーリウスのストア哲学派の書物も読んでいる。少し前にシェリー『鎖を解かれたプロメテウス』も読み終わった。ダンテ『神曲』・ミルトン『失楽園』・旧約聖書を読み、ギリシア神話時代の哲学を読み、『クォ・ヴァディス』への関連も分かってきた。そうすると、この時代から連なる西洋詩の歴史のつながりが見えるようになってきた。断片がつながってきたわけだ。まあ、まだまだほんのちょっとの断片なんだろうけど、そういうことが分かってくると、ふり返って自国詩の歴史が知りたくなる。

 私は一応、簡単に手に入る詩人の作品には目を通してきている。俳句・短歌の歴史は知らないが、詩(ポエム)として成立しだしたのは島崎藤村あたりからだろう(新体詩抄や北村透谷でもかまわない)。藤村と同時代を生きた詩人や、そこから分岐していく流れは、わりと理解しやすい。ロマンチシズムがどうこうということではなく、書き方のパターンが七五調から変化していくことと、外国の翻訳詩が入ってくるごとに新しい思想を得て、さらに書き方が変化していくことは、見れば誰にでも分かる。ところが、高村光太郎・萩原朔太郎あたりから、戦後詩人といわれる間に奇妙な溝があり、流れのつながりが見えなくなっている。第二次世界大戦による大きな溝だ。

なので、それを知ろうとしています。


あおばさん:コメントありがとう。
もっと沢山抜き出しているんだけど、著作権切れ(著者の死後50年が経過したもの)の調べがついたもの以外は載せてないので、主義・主張は見えにくいかなと思います。間に挟んでいる私の文章と、引用した作品とだけではちと分かりづらいところがある。
政治性に関しては、あからさまに分かる反政府的なものは載っていません。というか、当時は反戦・反政府的な文章を書いたとしても、どこにも発表できないという背景があります。




ふるるさん:コメントありがとう。
この作品では、終戦・敗戦後になにを書いたのかは問題にしていません。平和になってから、「あの時はこういうつもりで書いた」というような言い訳はどうとでも書けます。たとえば、まど・みちおは戦争協力詩を書いたことを恥じ、高村光太郎は山に篭り、といったことは本作品とは無関係です。西條八十に関しても同様です。

この書籍から私が知りたかったことは、

・有名詩人たちが書いた戦争協力詩(戦争肯定詩)とはどういうものなのかを知る。
・反戦・反政府的な内容のものが書けない時代に、それでもどうにかして反戦的なものを書こうとした人・作品はあったのかを知る。 
・詩史を補完する上でのつながりを見る。

ことにありました。しかし、戦争協力詩はほとんど本書には(詩文が)載っていません。反戦(?)詩については、本文に抜き出した作品だけではちと弱いところがありますが、もっと多くの作品を書き出すことは著作権上やっていません。興味が在れば、私のツイットを追えば読めます。




夏美かをるさん:コメントありがとう。
興味があれば、書籍自体を探してみてください。詩集の批評と一部抜粋とはいえ、ものすごい分量がるので、読み終わったらかなりの目利きになってると思います。

蛾兆ボルカさん:コメントありがとう。
戦時中に書かれたものを調べるのは、詩の方面から探してもなかなか見つかりにくいのが現状のようですね。哲学者や文学者から探したほうが見つかる可能性は高そうです。
 
とよよんさん:コメントありがとう。
戦時詩と戦後詩とをつなぐ鍵みたいなものはまだ見つけてないんだけど、直接的な内容を書けずにいたことが、戦後の難解な作品に伝わっちゃったような気はしています。なんかへんな捩れかたをしたんだろうなと。

闇道ナツさん:コメントありがとう。
野口米次郎は、探せば書籍が見つかると思います。

---2015/10/10 19:06追記---

そらの珊瑚さん:コメントありがとう。
私は、批判をもっとしっかりとしたほうが良かったと考えていますが、じゃあ、誰が批判できたのか? は難しそうだなとも思っています。しかしいずれにしろ、作品をなかったものにしようとする動きがあったことは駄目だと思っています。

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