観賞とは、何かを味わうことだ。基本的には、誰だってできる。教わらないでもできる。しかし、味わえる内容やレベルは、知識に大きく左右される。だからこそ「味わい方」を教える/教わるということがありうる。
たとえば「何か」というのがワインだと考えてみよう。いちばん低レベルなワインの飲み方は、「ただ酔っぱらえばいい」というレベルだろう。このレベルでは、味も何もありゃしない。そもそも「味わう」ということになっていない。こーゆーレベルのヒトは、ワインじゃなく激安焼酎でも飲んだほうがいい。もうひとつ飲み方のレベルが上になると、今度は、白・赤・ロゼなどのワインの種類や、甘口とか辛口とかの味の違いや、香りの種類や効果などを知ったうえで、味や香りや口当たりを楽しむようになる。さらにレベルがあがると、これは何年物だとか、この年は雨が多かったのでワインの出来がどうこうとか、このワインはとーゆー樽で熟成されたものなのでアロマがどうたらとか、素人にはどーでもいいようなものまで味わいつくして蘊蓄たれることができるようになる。このあたりでそろそろ専門的レベルといってよく、専門であるからには、ワインを選んだりワインとその味わい方について蘊蓄たれたりする専門職として、ソムリエというものがある。さらにはソムリエを超えて独自のワイン哲学まで編み始めるよーなヒトも、いるかもしれない。しかし、そんな神様レベルの人でさえも、ワインを飲めば酔うだろう。ワインの基本的な要素は、飲み方味わい方がレベルアップしても、いささかも失われはしないのである。
詩も同じだと言ったら、いささか乱暴だろうか。いちばん低レベルな詩の読み方は、「ただ感動できればいい」というレベルだと私は思うのだ。感動すればそれでよいんなら、何もわざわざ詩を読むことはない。小説でも実話でもいい。文学でなくてもいい。ドラマ・映画・絵画・音楽・ドキュメンタリー・スポーツ・ニュース・風景・動物・会話・旅、世の中には人間を感動させるものが山のよーにある。たいていは詩より簡単に感動できる。だのに、なぜ、わざわざ解読のめんどくさい「詩」というものを選んで読むのか? この疑問に気が付き、読み方のレベルがちょっとアップすると、詩と詩でないものの違いについて考えるようになる。ワインと焼酎は違うのだ、と気づくようなものだ。詩は言葉でできていて、言葉の音韻には美しい響きのものとそうでないものがあり、言葉にはリズムがある。言葉の並べ方や構成の技法次第で、詩の味わいは大きく変化する。音読したときと黙読したときでは、また味わいが違う。さらに読み方のレベルが上がって、ワインでいうところのソムリエくらいになると、素人にはどーでもいーような数々のレトリックについて蘊蓄たれたり、この詩は歴史的にみてこーゆー位置にあるなどと言い出したり、詩の作者も気づかなかったような深層の意味を探り当てたりする。このへんになると、「批評」といって差し支えない読み方をする専門家だと言えるだろう。
なにもソムリエのような専門レベルにまで到達する必要はないけれど、シロートでも、「ただ感動すればいい」というレベルは脱したいと思うんだなあ、内容に感動すればいいというんではもったいない。詩が泣く。味も何もわからん味覚音痴に、極上ワインはもったいないでしょ? ま、ワインと違って詩は読んでも減らないので、味がわかんないヒトも詩を読んでいい、それは全然かまわない。むしろ、もっと読んでくれ、舌を磨け、味を覚えてくれって思う。
もちろん、「詩の読み方? そんなもん教わりたくない、私の個性がつぶされる気がするもの」と思うヒトは、教わらなくていい、我流で読んでりゃいい。私の詩の読み方だって、我流みたいなものだ。でも私は、できれば、詩の読み方味わい方を誰かに教わりたいもんだと思っている。私はこう見えて向上心旺盛だし(笑)、誰かに教わったくらいで私の個性は揺らぎやしないと思っている。だいたいサ、いつも思うんだけどサ、何か教わったり誰かに決めつけられたり規定されたり縛られたり蝋燭垂らされたり、じゃなかった蘊蓄垂れられたりすると、すーぐ「私の個性」が脅かされた、って感じちゃうヒトがいるでしょ、あーゆーの、すんごく損じゃない? 知識を得るってことを、受け身的に考えてるからヘンな気がしちゃうのよ、知識ってのはこっちから貪欲に奪い取りにゆくものでしょ? で、その奪い取ったものを、自分で取捨選択吟味して、混ぜ合わせたり切り貼りしたりして、自分という酵母で発酵させて、常に異質なものを取り込み続け、変化し続けてゆくもの、それがほんとうの「知」とゆーものなんじゃないの? 言わせてもらえばサ、なんか教わる程度で揺らぐ個性なんてサ、まだできあがってないのよ、つくりかけの個性しか持たないくせに威張るんじゃないわよ、キーーーーーッ。
失礼。今回は取り乱しませんでしたが、怒り狂ってしまいました。いつものごとく今回の簡潔な結論は、
「詩の読み方は学ぶことができる。詩の観賞の深さは読者の知識によって左右される。」
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