なんてタイトルをつけると怒るだろうか、「我が同志たるトラブルメーカー」というのは、ずばり、山田せばすちゃん(敬称略)のことだ。技術論的批評(もしくは「添削」)の腕前に関しては、彼の右に出るものは少ないだろう。とはいえ、なにしろ双方の合意に基づかないレイプ的な添削も多いから、トラブルを起こしやすい。彼も今はそのへんを自覚しているだろうが、彼とて、トラブルを起こすために技術論的批評をしていたわけではない。私のHPの隠し掲示板カキコを見る限り、山田せばすちゃんは、彼なりに理由があって技術論的批評をしていたのだと思う。山田せばすちゃんは、根っからの啓蒙主義者で、実は理想家でもあって、燦然と輝く「理想の詩」と、いま目のまえにある「フツーの詩」とを引き比べてしまい、その差に愕然として「技術論的批評」という道を選んだのではないか。
私もまた、燦然と輝く「理想の詩」と、いま目のまえにある「フツーの詩」(私自身の詩を含む)と引き比べて愕然とするタイプの人間である。おまけに私も啓蒙主義者で理想家。だから、山田せばすちゃんの気持はよーくわかる。よーくわかるが私は極度のめんどくさがりで個別に添削する気力がなかったので、山田せばすちゃんのようにせっせと添削することをせず、かわりに「サルでもわかるレトリカル」(通称サルレト)という技術論―――レトリック入門を書こうとしたのだった(でもサルレトは都合により休止、2006年現在「蘭の会」にて「新サルでもわかるレトリカル」連載中)。
詩の世界ではどうかわからないが、俳句の世界じゃ結社主宰による添削は日常茶飯事だ。しかし俳句結社での添削はレイプではない。なぜレイプではないかって? そりゃ、俳句結社のメンバーが、たいてい心の底から主宰を敬愛しているからだ。主宰に話しかけられただけで随喜の涙、っちゅーヒトもいるのだ。それほど愛してる相手に添削してもらえるんだから、腕をもがれようとも腕をつけられようとも(俳句は短いのでもぎとる場合が多い)、怒らないで喜ぶ。それはそれでどーかしてるよーな、異常なよーな気がしないでもない。私自身は、そうしたどこか異様な雰囲気がイヤで俳句結社を抜けたが、結社で添削された経験は、私にとって非常に有益だった。
技術論の話がでると、私はいつも、主宰のことを思い出す。彼女(私がいた結社の主宰は女性)は、俳句技術を実践的に教えたり、俳句を添削したりすることが、本当は好きではなかったのだと思う。彼女は、ミロのヴィーナスに腕をつけることのグロテスクを、きちんと理解していたと思う。彼女は自分の俳句教授法を「促成栽培」と呼んでいた。こんな教え方、ほんとうはいけないのだ、と言っているようにきこえた。それでも彼女は「促成栽培」を続けていた。結社を存続するために有力な新人がほしいとかなんとか、裏側にも理由はいろいろあっただろうが、いちばん大きな理由は、実践的技術論や添削=促成栽培に需要があったからではないか。「教えて下さい」「もっとうまくなりたいです」「どう直したらいいかわからないので直して下さい」と乞い続ける人々を、無碍に蹴飛ばせなかったからではないか。主宰は、いつも忙しく日本各地を飛び回っていた。今も飛び回っているだろう。「もっと教えて」「もっと教えて」という願いを叶え続けるために。こうなると、どっちがどっちをレイプしているのやら……
添削する人は、基本的に、優しいのだと思う(山田せばすちゃんはどーか知らないが、少なくとも、わが主宰は)。ちょっと手助けすればなんとかなりそうなヒトをほっとけない人間っているけど、あれと同じよーなもので、ちょっと手を加えればなんとかなりそうな作品をほっとけないのだ。添削なんてしてるより、自分の作品を磨いたほうが即自分のためになるし、トラブルも起きないし、めんどくさくないし、あんまり勉強しなくていいし、無責任でいられるし、つまりとにかくラクなのに。
ところで、我が同志たるトラブルメーカー山田せばすちゃんは、あるネット詩人の師匠であった。実際に、師匠と呼ばれていた。山田せばすちゃんには、師匠と呼ばれるだけの何かが、まあ、あるのだろう。ただ、信頼関係を築けない場合にも添削してしまうこと、そのへんに山田せばすちゃんの問題はあるのだとおもう。
俳句に関しては私にも師匠がいるが、詩に関してはいない。私は独学でやってきた。だがときどき不安だ。私の詩はこれでよいのだろうか、いや、詩作それ自体はまだまだなってなくて直さなきゃいけないと思うけど、詩作の方向性はこれでよいのだろうか、間違ってないだろうか。しかし問いに答えてくれる人はいない。ときどき私は、切実に詩の師匠がほしいと思う、私の個性と才能を見極めたうえで、優しく懇切丁寧に、親身になって詩を教えてくれるひとに出逢いたいと思う、でも……私はそのようなひとに出逢わなかったし、これからも出逢わないような気がする。出逢ったような気がしたときもあったけど、それは錯覚で、かくして私は、またも月がほしいと泣く、泣きわめくのではなく、さめざめと……ウッウッ、教えてくれるヒトがいるヒトはいいのよ、私はひとりでやらなきゃなんないのよう、ああうらやましいよう、しくしく……
失礼。今回は取り乱しませんでしたが、泣いてしまいました。こーゆーのも困りますねェ。で、いつものごとく今回の簡潔な結論は、
「添削は有益だ。ただし、作者と添削する人のあいだには、相互信頼関係が築かれていなくてはならない。」
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