【家庭の詩学】 #5 「エス」のはなし
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 1935年、文化人類学者のキルトン・スチュアート博士は、マレー半島に住む先住民族『セマイ族』の調査を行なったところ、彼らは独自の方法を使って、夢をコントロールしている事が明らかになった。そして、アメリカのサンタバーバラ睡眠障害センター元所長、チャールズ・マックフィー氏によると、彼らが見ているのは『めいせきむ/明晰夢』と呼ばれる夢であるという。



○「エス」のはなし

  前回は「詩」がいかにして「知的・精神的なコミュニケーション」となりうるか?というところで終わりました。たとえぼくらの「詩」が、誰にも読まれることのないノートに書かれた「詩」であったとしても、それが「詩」の形を取った瞬間、その瞬間にぼくたちはコミュニケーションを取ったのです!誰と?ふっふっふ・・・それを今回説明していきたいと思います。

  さっそく&いきなりですが、今回はちょっと「心理学」をかじります。スイスの心理学者CGユングによると私たちの「意識レベル」は大きく分けて3つの層に分けられるといいます。?意識、?個人的無意識、?集合的無意識です。わたしたちの「自我」は?にあります。ちなみに「無意識」のことを「エス」ともいいます。そう、あのミスチルの「ぼくを走らせ〜るes/エス」の「エス」です。?には少年時代の思い出や、体験した驚き、喜び、深い悲しみ、恐怖、潜在的な可能性が仕舞われています。人間は「少年時代」と決別し、社会へ適合するために、「不都合」「不用」と思えるそれらの情報を「意識」の外へ追いやろうとします。ではそれらの情報はどこへ行ったのでしょうか?最近、中古パソコンのHDDに前のユーザーのデータが残っていることが問題となってますね。前ユーザーが情報を「ごみ箱」に捨て「消去」して、OSをフォーマットしてもまだHDDから完全には消えません。僕たちの脳でも同じことが起きている、この意識の外へ追いやられた「ごみ」はまだ「個人的無意識」の中にあるのです。つまり、「問題」は捨てられたのではなく「無意識の領域」に「保留」されたままなのです。そしてそれが「意識」の世界に影響を与えることがある。「トラウマ」はそいうものだし、「過去の体験」に影響を受けた行動、感じ方、考え方をぼくたちは「無意識」のうちに取っていることが多い。だからぼくたちは「エス」によって突き動かされ、「自我」によってそれを抑制・抑圧しているといえるでしょう。

  オヤジ:「おいおい「心理学」を持ち出す気か?ちょと畑違いじゃねーか?だいたい、心理学ってどこか胡散臭いじゃね〜か。どっかの「啓発セミナー」や「カルト教団」みたいなこと言い出すんじゃないだろうな〜。でも、無意識にある自己が今の自分にかなり影響を与えているというのは分かる気がするな。俺は犬が大嫌だが、自分でも覚えていない小さいときに犬に噛まれたらしい。」(*このシリーズでたびたび登場するオヤジについての解説は【家庭の詩学】まえがき にあります。)

  いやいや、ぼく自身もあんまり「心理学」は信用してませんよ。でも、「医者キライ!」と言っていないでちょっと勉強してみると意外と面白い部分もあるんですよ。・・で、さっきのつづきです。「個人的無意識」のさらに下層に降りてゆくと、?「集合的無意識」(普遍的無意識ともいう)という層が広がっています。ここはとてつもなく深い、底なしです。ここには、個人の体験を越えて、民族に共通した、あるいは人類に共通した、はたまた生物全体に共通した「無意識」が仕舞われていると考えられています。このレベルまで降りてくると、自分と他人を隔ている壁がなくなります。これは、ちょうどDNAの情報のようなもので、自分の親の情報だけでなく、民族的、人類の情報まで書き込まれているようなものでしょうか。サルと人間のDNAも98.5%は同じらしいですからね。え〜、これ以上説明すると余りにも本論から逸脱してしまうのでこの辺でやめておきます(調べたい方はご自分でどうぞ)。正直、わたしはあんまりユングを信用していなんですが(してないんかい!)、この「深層心理には2層ある、すなわち?個人的なものと?普遍的なもの」というところは、納得してしまう訳です(直感で)。さて、この「無意識の世界」と「芸術」は古くから深いかかわりをもってきました。音楽、絵画、文学であれ、傑作と言われてきた「作品」はこの「普遍的無意識」にまで踏み込んだものが多いので、人類、時代を超えて広く「共感」を与えてきた訳です。「シュルレアリスム(超現実主義)」もそうですね。

  オヤジ:「ううん。よく分からんが、俺はシュルレアリスムには魅かれる。ダリとかああゆうヤツだろう?ただ、どこがどういいのかと聞かれても分からんな?でも、ダリの絵は大好きじゃ。」

  ぼくもダリは大好きです。シュルレアリストたちは「無意識」や「夢」をインスピレーションの源泉としたんですね。詩の分野でも「自動記述」というのが試みられたんですね。ぼくたちは「夢」の中でこの「無意識」の世界へ行きます。でも、「意識」をしっかり保ったまま行くことは通常出来ないので、「夢」の内容をほとんど憶えていませんよね。だから夢は「意識」と「無意識」の中間的な世界であると言えますが、そこではしっかりとした「意識」を行使できないので、過去の「トラウマ」のようなものは、そのまま「保留」され続けるしかないわけです。いうなれば、過去の「保留された問題」が「潜在意識」の中に「清算されない形」で存在する限り、わたしたちはその「無意識」の影響を受けながらこれからも生きなければならないわけです。「セマイ族」のような「明晰夢」(めいせきむ)なるものを本当に見ることができれば、その世界の中で「意識」を持つことができるのでしょうが・・・所詮、それは「夢の中」の「意識」なんですよね。ちなみに、この「明晰夢」ですが、訓練すればだれでも見れるようになるらしいです。

  オヤジ:「何!訓練すればだれでも見たい夢が見れるのか!?」

  では、いよいよ本題に入ってゆきます。ぼくたちが「詩」を書くという行為は、この「明晰夢」を見ることに似ているのではないでしょうか?(明晰夢というものが本当にあるなし別としてここではその概念を取り上げています)いやその逆といえるかも知れない。つまり「意識を無意識の世界に連れてゆく」のでなく、「無意識を意識の世界へ連れて来る」ということです。詩を書くことによって「意識」の領域を広げ、「潜在意識」である「個人的無意識」の領域まで取り込んでゆく、そしてまず、少年時代より「保留されていた問題」などの「潜在的な自己」と向き合い、再度「自己」を捉え直すのです。「過去の自己」を「清算」するために、「新しい自己」との間でコミュニケーションが取られる。そして、精神的に「自立した自己」は、今度は、より深いレベルへ「普遍的無意識」へと「意識」を広げてゆきます。「自立した自己」の上に、「普遍的な精神的世界」が築き上げれてゆきます。そして・・・それ以上はもはや「宗教」の分野になるのかも知れないので言及を避けます。

  ぼくは、この「無意識」の世界は、本来「混沌」の状態だと思います、そこに答えはない。ただし、「意識をもった自我」がそこまで広がり、「コミュニケーション」が取られるときに、「混沌・カオス」から「秩序・コスモス」が生まれるのだと思います。シュルレアリスト達は「無意識の領域」に足を踏み入れたことで喜んだ、でもそこは前人未到の地ではなく過去の偉人達や、聖人達の足跡がついていた。ちょうど「月」や「火星」に足跡を残すような功績だったといえるかもしれない。でもそこには、何もない、ただ殺伐とした「混沌」があるだけなのだろう。ぼくらがこれからすべきことは、いわば「テラフォーミング」(惑星地球化計画)のようなものではないだろうか。そこには「生命」が誕生し、育まれてゆく。つまり「混沌」に「秩序」を与えてゆくということです。ぼくにとって「詩」を書く行為は、まさに「隠された自己」とのコミュニケーションであり、「普遍的無意識」にまで進むときにそれは、「他者との時空を超えたコミュニケーション」を取ることのできる手段であると考えます。ぼくは、ぼくの中の「混沌」、潜在的な自己に「秩序」を与えてゆきたい、自分が何者なのか、世界が何者なのか、これからも問い続けてゆきたいのです。「コスモス」を創造したい。・・そしてぼくは思うのです、そもそも、ぼくらに、まるでそれが生きるための必然であるかのように「詩」を書くよう突き動かしている「力」の正体、それこそ「普遍的無意識」の果てしない奥底から湧き上がってくる「エス」なのではないでしょうか?

   ※これで、「家庭の詩学」シリーズはとりあえず完結します。読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。ぼく自身このエッセイを書いてゆくうちに「詩」についての自分なりにひとつの「方向性」を見いだせたような気がします。少しでも、皆さんの詩作活動の参考になれば嬉しいです。また、機会があれば、「続・家庭の詩学」や「新・家庭の詩学」など(笑)をやってみたいと思います。お付き合いいただきありがとうございました。(疲れた!!!)


【家庭の詩学】 シリーズ

まえがき
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#1 詩とはなにか
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=35395

#2 わかるということ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=35467

#3 感動はどこから来るか
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#4 「味*素」のはなし
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#5 「エス」のはなし
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おまけ
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散文(批評随筆小説等) 【家庭の詩学】 #5 「エス」のはなし Copyright 043BLUE 2005-04-14 23:20:07
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