2014 04/14 11:42
澤あづさ
>>68 こひもともひこさんへ。
>>「作者が評者に対しいやみったらしく披露する自作解題」
>その人(※自作解題する作者)が、「自分は知識を持っているぞ」ということを言いたいがためにコメントしているのか、そうじゃなくて、「この作品をより良くしよう」だとか、「このやり取りから次に繋がるアイデアが生まれる」だとかを求めてコメントしているのか。
解題に限らず「作者がコメ欄で自作を解説する」という行為を否定する意見には、
「作品として表現できなかったことを解題で穴埋めするのは、言い訳でしかない」
といったものが多いという印象を持っています。
そしてこういう意見が多く出てくるということは、言い訳がましい作者が多いということなんじゃないかなー、とわたしは推測しています。
ほかならぬ自分自身がその類なので、わりと自信のある推測です。
ですからやはり、作品は作品として完成させるのが大原則だろうと思うのですね。
詩だけでは足りないので言葉を尽くしたいなら、注解や解題を作品にするという手もあります。田中宏輔さんの愛読者には言うまでもないことですが。
この機に乗じて、ヒヒョー対象関連作品を宣伝させてください。
◆いかいかさんの前回HHM参加作品◆
・ヒヒョー『こんなことを考えながら作品を書いている』
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=267971
・ヒヒョー対象『祖母』(※自作)
http://bungoku.jp/monthly/?name=%82%a2%82%a9%82%a2%82%a9#a30
いかいかさんの貴重な自作解題です。元祖JJMなので、わたしはポイントを入れませんでしたが、もちろん精読しました。『星遊び』(
http://bungoku.jp/monthly/?name=%82%a2%82%a9%82%a2%82%a9#a12)精読のために。
わたしの知る限り、かれは自作解題しない人ではないけれど、レスレスはくれないことが多い。かれの作風を知りたければ、作品から情報を収集するほうが早いです。
「投稿しときながらレスレスしない」
この姿勢こそは、こひもさんには得心しがたいんじゃないか、とわたしは推測しています。わたし自身、レスにはレスレスしてくれよと思うからです。
しかし反面わたしはメビで「作者のレスレスはみっともないから禁止したほうがいい」という意見(もちろんいかいかさん以外の人の)を複数回見かけてもいます。
コメ欄での解題を「言い訳」として、そこまで忌み嫌う人もいるようです。
という前提で、以下。
<quote>-------------
?自作解題を「書き手という読み手の一読解」として捉えて作品を読み解いていくのは面白いんじゃないかな
?難点はやはり、作者自身の解題を「正解」だと捉えてしまう「ものの見方」でしょうか。
?「いやみったらしく披露する」ということも、大きなポイントになるように思います。
------------</quote>
このうちまず?ですが、コメ欄のやり取りが評価でなく「アドバイス」なんだとすると、作者が事前に作品を解題して「わたしはこういうつもりで書いたんですけど、書けているでしょうか?」とレッサーに問うほうが、話が早いんじゃないかしら?と、わたしは現場にいたころしばしば思いました。
それと言うのも、ものすげーあたりまえの話ですけど、知らないことは読んだってわかりません。
特に詩は表現を凝縮しますから、詰めたネタがわかりにくくなることも多い。すさまじく難解あるいはネタのマイナーな作品の場合、作者が「なにを書いたつもりなのか」をはっきりさせない限り、アドバイスの手段などないということもあり得ますから。
そういう前提でのやり取りだと、?の理想は実現しませんが、こひもさんもおっしゃっているようにわたしは、?が一般的な風潮として定着するとは思えません。
そもそも、?のような交流が有益になり得るほど読み幅のある投稿作品がどれほどあるのか。そして?のような交流を望んでいるレッサーがどれほどいるのか。
このレッサー側に関するわたし個人最大の難関が、?です。
ガチで、わたしはわたしのようなやつにはレスしたくない(だからこひもさんの男気を尊敬するわけですが)、これはわたしひとりの所感ではないと思っています。
メビで活動していたころ「実力がないからプロ詩には行けない」「的外れなことを言ったら恥ずかしいからレスできない」というような話を、頻繁に聞きました。
実際そのころメビには、「難解そうな詩にはレスがつきにくい」という顕著な傾向がありました。
難解そうな詩ほど、便乗レスみたいなのが多くなる傾向もあったように記憶しています。最初に賛辞がつくと賛辞だらけになり、最初に批判がつくと批判だらけになる、みたいな。つまり合評は、どうしたって他人の意見に左右されやすいということです。
さらにプロ詩の周辺には、
「読解をもらっても無意味、技術を評価してほしい」
という意見も散見しました。
わたし自身も、やはり文芸は「芸」ですから、評価するなら技術が最優先だろうと思っています。内容を重視するってことになると、話も「共感できるかできないか」に終始しがちですし、わたしのやるような読解には、冷静な技術評価を妨げる側面が否めません。
しかし技術(表現にどの程度の効果があるかということ)は、内容を前提にしなければ評価しようがない、つまりまず読解しなければ論評も始まらない。というのがわたしの所感で、こうなると話がだいぶ厄介になりますね。
と、ひとまず半端なところで終わっておきます。