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震災の日、何をしてましたか? 何をしましたか? (雑談系)スレッドオペレーター:いとう

後世に残す(遺す)、資料(史料)になると思ったので。

ルール1
どこにいたのか、できるだけ細かく。

ルール2
発言に対するレスは禁止。
データの蓄積を、スレッドの趣旨の中心に据えます。

[26]一輪車[2021 03/25 03:09]
糞をしてマスをかいていますた。御名御璽。震災バンザイと和合亮一が叫び、あちこちの大使館で酒食でもてはやされて、有頂天。これが詩人もどきの現実。
 

[25]46U[2021 03/11 12:02]
共同作業のために我家に滞在していた友人が帰り、両親に手をついて「彼女の滞在を許してくださって有難うございました」と礼を述べて数分後、テレビで津波の映像を見ました。
ああ、彼女を親御さんのところに帰らせておいて良かった。
心底そう思ったのですが、問題はそれからで。
震災の影響でケータイが通じないことで、彼女はパニックを起こしてしまい、周囲を巻き込んでの大立ち回りが始まりました。
震災がなければ、彼女と決別することはなかったと思います。
 

[24]鵜飼千代子[2021 03/11 02:32]
千葉ですが、娘の幼稚園の卒業謝恩会が解散する頃でした。当日については他にも書きました。
後日、公務員の夫は瓦礫の下敷きでいる不明者を掘りに行きました。
先日の久しぶりの大きな地震はこわかった。
3/11が誕生日の義父が3/4亡くなりました。3月は生死について繰り返し向き合うことになりそうです。
 

[23]津煙保存[2021 03/11 02:08]
1 たしか マンションの5階の部屋
2 現代詩フォーラム に入り浸っていました
 

[22]アラガイs[2021 03/11 00:15]
カーラジオから流れてくる津波予想10メートルのアナウンス。読み上げたアナウンサーが少し間を置いて驚いて、それを聴いたわたしもただ事ではないと急いで帰宅しテレビを点ける。押し寄せてくる大きな波を呆然と見下ろす自衛隊のヘリ。わけもわからず道を逃げ惑う車体。波が大地を、家を浚う。大変だ!ほら、見て、すべてのみ込まれていく。このリアルな目の前の出来事を一緒に見続けていても反応の薄い惚けた母。
 

[21]松岡宮[2021 03/10 14:25]
現代詩フォーラムに久しぶりにログインしました。

あすで東日本大震災から10年ですね。

2019年に常磐線で上野から仙台に行きましたが途中(富岡ー浪江)はバス代行区間でした。
2020年3月にその区間も開通し、常磐線がつながりました。

震災のイメージは、自分にとっては鉄道の断絶です。

少しずつ、着実に鉄道網はその姿を変えながら進化しておりますが
コロナ禍で鉄道会社は別のかたちで打撃を被り
混雑は緩和され 終電が早まり 旅の特別列車の運行は減り
マスク姿の乗客が黙って電車に乗り込んでいる
そんな2021年の風景です。
 

[17]こうだたけみ[2014 08/27 09:50]津煙保存
千代田区内の出版社で勤務中でした。
私の腕に掴まって怯えている同じ編集部の女性の表情、開いた瞳孔が目に焼きついています。
 

[16]itukamitaniji[2014 08/27 01:20]津煙保存
仕事場にいました。大きくて、やかましい機械がたくさんおいてある、体育館みたいな工場をイメージしてください。

当時の私の仕事場は、外の世界とは隔絶されていました。雨が降っているのかいないのかすら、分からないほどです。

揺れも、全く感じませんでした。テレビもラジオも近くにはなく、情報も回ってきません。それでもどこかの誰かから、どうやら大きな地震があったらしいことが、何となく伝わってきた、ような記憶が曖昧ですがあります。

自分自身で、地震のことを確認したのは、仕事が終わって帰り道(もう夜の9時くらいだったでしょうか)、歩きながら携帯でSNSを確認した時です。ニュースの欄に、マグニチュード9.1だの、震度6だの書かれており、びっくりしました。しかし、その時もまだ、大事と捉えてなかったです。

帰り道に缶ビールを買って…呑気なものです、家に帰って、ビールを開けつつ、テレビを点けると、津波の映像が流れていました。そこからは、皆さんと同じ反応だと思います。
 

[13]Giton[2014 07/31 01:10]津煙保存
1 職場(自営)で仕事中。

2 揺れが収まったので、従業員を直ちに帰した。そのまま定時まで作業してから帰宅難民の列に入り3時間歩いて帰宅。翌日は昼過ぎ出社して、震災関連の連絡に没頭。午前中は従業員がやってくれた。
  要するに、平常時と変らず。
 

[12]縞田みやぎ[2011 04/29 00:44]いとう
このスレッドに書き込もうとして書き始めたのですが,
恐ろしい長さになってしまったので別枠で。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=231963

という書き込みだと趣旨に反するでしょうか。
 

[9]吉岡孝次[2011 04/10 19:11]
いた場所は、平日なので勤務先の2F(東京都港区)。
数日前にも感じたような揺れだったが、
建物が傾いたらドアが開かなくなる可能性があるので ついつい
足を運んで、自席からは遠くない2Fのドアを開放しにゆく。
開いて、廊下へ。
すると、揺れが大きくなって屋外待避を宣する声が後ろでした。
と、ここで気づく。
「階段室の1Fのドアが開かなくなったら!」
というわけで、逃げるように1F階段室のドアへ。
さて、ここでドアを開ければ事足りるというものではなくて、
開けっ放しにしておかなければならないわけなのだか、
どうやったら開けっ放しにできるのかがわからないので、とりあえず手で支える。
#ストッパーがすぐそばにあったらしいことを、直後に知った。


しばらくしてまた2Fに戻るが、余震。仕事にならない。

電車も自動車も当てにはならないと判断し、歩いて帰宅することにする。
ところが、ペーパードライバー(=ゴールドカード)なので、
どの道ををどう辿ればいいのかわからない。
会社にある道路地図とにらめっこし、帰宅路を決定したのは
結局、通常時の勤務終了時刻 て、定時退社かよ!

想定外だったのは、歩道の渋滞。
たぶん、新宿あたりについたのが午後8時くらいで、
池袋あたりについたのが、午後9時くらい。

新宿では小用を足したくて高島屋のタイムズスクエアに行ってみた。
閉店時間まぎわのアナウンスがなされていたが、店内には
いわば帰宅難民とおぼしきひとたちが多数座り込んでいた。
「シャキッとしろよ!」と今は言わなくて良かったと思っている。

小用は結局、別のビルの開いているトイレで済ませた。
そこにいたるまでの地下の階段・通路にも座り込んでいるひとたちがいた。
鉄道運行の再開を待っていたのかは、わからない。

とはいえ、連れだって会話しているのを聞く限り
徒歩組の方は意外に元気で
ただ、車道で頻繁に鳴る緊急車両のサイレンが
(救急病院の傍に住んでいて慣れっこなはずの自分に)
不慣れな不安を段々と覚えさせていた。

荒川にかかる橋を渡り、地元に着いたのが午後11時頃だったか。
ここまで来たら人だらけの大通りをなぞる必要もない。

(自転車を持たないので)休日にいつも歩き回っている街路は
夜だし、静かだった。
その静かさに安心したような記憶がある。
 

[7]小原あき[2011 03/30 12:56]小川 葉
いた場所
新潟県(下越地方)の自宅の2階。

PCで家計簿とにらめっこをしていました。
(ちょっとガス代多くねーか)と思っていたところで短い縦揺れ、長い横揺れ。
横揺れは何分も続きました。
中越地震のときと同じくらいの揺れで(もしくはそれよりも小さかったかもしれません)
すぐにおさまるかと思ったけど、なかなかおさまらないので、
こたつに潜って眠っていた愛犬を呼び起こし、ヒーターを消し、廊下に出ました。
電線や木が揺れているのを廊下から眺めていました。
呼び起こされた愛犬は廊下を楽しそうに行ったり来たり。

揺れがおさまった頃、テレビを点けその被害の大きさにびっくり。
福島には祖父母が住んでおり、ちょうどその日に両親が祖父母のところへ行っていました。
母の携帯電話や祖母の携帯電話、祖父母の家の電話に何度も電話をかけましたが、通じず。
テレビを食い入るように見ながら、祖父母の家の震度を確かめながら無事を祈っていました。

いつもより早めに夫が仕事から帰宅しました。
会社は無事だけど余震により仕事にならないとのことでした。

家の中で倒れたものなどはなかったのですが、
火を使うのが怖かったため、
夕食は冷蔵庫にあった残り物(煮物など)を食べて済まし、
ずっとテレビのニュースを見ながら
夫は妹や親戚などに電話をかけ、
わたしは姉や両親・祖父母に電話をかけていました。
その後なんとか母の携帯電話からメールが届き、みんな無事だということ。

安心して眠りについたのは良いのですが、
翌日の朝方に同じくらいの揺れがあり目が覚めました。
長野・新潟の地震です。
ベッドにしがみついてその揺れをやりすごしました。
その直後、夫の妹(夜間の勤務をしている)から電話があり、無事を確認。
朝になり、福島の祖父母と両親に電話をかけ、無事を確認しました。

両親と祖父母は病院の帰りに車の中で地震に遭い、
ものすごく怖かったと母は話していました。
両親はその日に新潟に帰ってこられましたが、
一緒にいた神奈川の叔母はいまだに電車が動かないため、帰れないでいます。
 

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