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座右の銘は 『面白きこともなき世を面白く すみなすものは己なりけり』です☆ これは上司が紹介してくれた言葉ですが、私の支えになっています(o^^o) by こすもぷ 参照先不明 * 偽善者にも悪い偽善者と善い偽善者がいる。善い偽善者は偽善者であることを見抜かれない。といった感じのことを、いつだったか、むかし、渡辺一夫という仏文学者が「偽善のすすめ」という随筆で(逆説として。開き直りでなく)書いてたように思うが、それより昔、親鸞、それより昔、法然が「悪人正機」を説いていた。わたしは、それで、すーとするほど単純な頭をもっていないので、座右の銘にはできないが、 「さあ飛んで行こう 霧の中 汚れた空をかいくぐり」(シェイクスピア) という気分は持っている。 * by ハァモニィベル ハァモニィベルさんへ レスをありがとうございます。 私の頭は単純です。(開き直りとして(笑)) 親鸞のいう悪人とは悪人の自覚を持った者、という意味に理解していました。自覚のない善人でさえ救われるのだから、悪人が救われないはずがないという意味だと・・確か高校の教科書に書いてあった気がします。すると善人イクォール偽善者ということになりますが。他者に悟られるかどうかではなく、自覚の有無が問題なのではないかと私なりに考えます。とかく善をなそうとするものを偽善者と揶揄する昨今の風潮、偽善者呼ばわりされることを恐れる風潮に対し、一石を投じる泉谷氏の発言だったと思います。私自身、見ず知らずの他者から偽善者と決めつけられ、無用に傷ついてしまう経験があり、そうですよ、私は偽善者ですけどなにか、と一旦開き直る必要を感じてのここへの書き込みでした。他者から偽善に見えようが、それを自覚していようが、他者に対する反論も弁明も必要ではないという自戒です。善をなすことは難しいけれど、それを求めもめざしもしないものに、「お前の善は偽物だ」と言われる筋合いではないということです。あ、そうか、良い偽善者は偽善者であることを悟られない、とおっしゃる意味がわかりました。開き直るより、表現の仕方を工夫せよということかもしれませんね。ありがとうございます。 by Lucy
さて、本題の自分の座右の銘ですが、そのまんまです。自分の座右の銘はこれや!とお思いになられている物を投稿して、各々の考え方、交流に役立てて貰えたらと、思って作らせて頂きました。 投稿内容ですが、創作でも構いませんし、意味の説明等の付属も構いません。(ただし、モラルのない言葉の使用を禁止させて頂き、また、独断で削除させて頂きます。ご了承ください。) ことわざ、外国語、四字熟語、どっかの文章からの引用文(出所を書いてもらえたら幸いです。)となんでもありです。 例→1日、1膳!(ダイエット、命です!)とかなんとか・・・ では、ゆるりとのんびり、いきましょう。 「悪心もて善なすもまた善なり」 ──宮城谷昌光 「なう&膳」 「人生は自分逃がしの旅」 「迷えば広くなる、悩めば深くなる」 オリジナルです。伝えたい、わたしのいつも思っていることの一つです。 郷原は徳の賊なり (『論語』陽貨篇 ) 宗教の話として、お話を寸断させました。悪だと自分でも思います。 が、しかし その書物は、浄土真宗のキーパーソンである蓮如という方も、みだらに世の中に流通させないように指示していたほどに誤解を生みやすい書物です。読むなら、真摯に読まないといけないと、先人も言っておられるのです。 しかし、適当な反応を わたしはしました。 実際に様々な団体の人や個人が、様々に真摯に説明を、しておられます。わたしは、この短いおしゃべりの場であるこのスレッドに それらを要約できません。 しかも このスレッドは、自分の座右の銘を書く場所で該当の言葉を 座右の銘だと言っている人は、いらっしゃらないです。 みなさん、ここで この話をしないことについては、同意できてよかったです。 対話にのっておいて、お話を寸断してすみません。 もういちど、わたしの座右の銘を、いいます。 「なんくるないさあ」では、そういうことで、ごきげんよう。 * 因みに、中途半端な議論を投げ合って錯綜させる人達というのは、「悪人」なんですか、「善人」なんですか?(笑) 片方が個人的解釈について、問いかけてるのに対して、「宗教の話」だとズラして応ずるのは、「善/悪」どちらなんでしょうかね?「偽善」ですかね(笑)。 * 中身について語る以前に、たとえば、タイトル『歎異抄』の「歎異」の意味をよく考えたほうがいいかも知れませんよ。 * キチンと議論するなら、法然の頃の時代背景、親鸞の頃の時代状況、といったことを踏まえて、「他力」という問題についても、加味して考えるべきでしょうね。 * 松岡さんへ 「悪人」のイメージは、 法然の場合なら、旧仏教の体制派から正統に叶うとみなされる者(=善人) 体制派からは、異端だとみなされる新しい、心ある存在(=悪人) 親鸞の場合なら、苦もなく努力が報われる様な恵まれた者(=善人) いくら努力してもそれが実らない境涯にいる者(=悪人) といった感じに(わたしにはですが)思えます。 勿論、これは、宗教でもなく、学問でもなく、 ただの私の視点にすぎません。 (もう、他には書かないと思うので、 万一、わたしに用があるときは、「蝶としゃぼん玉」へどうぞ。) では。 失礼しました。 * るるりらさん、宗教の話ではなく、ここでは言葉の解釈のことを言っています。「いわんや悪人をや」という強い逆説的表現のことを自分なりに考えてみたのです。でも、もうやめましょう。 宗教の話だからすれ違うのではなく、お互いにおそらく認識不足なのです。 松岡さん。 あの文章でのあの善人悪人とは、だれが善悪を決めているかが問題だと思います。 色々、書きましたが、たしかに 適当な物言いでしてので、ここのコメントは 一部、削除しました。 るるりらさんへ 私が書いたのは、あの有名な親鸞の、「善人なをもて往生を遂ぐ いわんや悪人をや」という言葉の解釈についてです。すべての人間は悪人である。ならばこの言葉に使われている善人とは誰のことなのでしょう。私は自分が善人であると信じて疑わない人。つまり悪人の自覚ある悪人よりもたちの悪い悪人(いわば偽善者)てあって、その善人でさえ救われるのだから、悪人が救われないはずがあろうか・・という意味にとらえ、悪人イコール悪人の自覚ある人というふうに考えました。 >>79 松岡真弓さん 私のは、別段>>79へのレスではありませんよ。 レスするなら、松岡真弓さんらしくない(捻じれた論理の)座右の銘だな、と感想を述べると思いますが、他人の座右の銘は、その人それぞれ自由ではありませんか。なので、それについて他者の立場に何かを言うツモリはありません。 ** なので、以下に言うことも、たんなる私の意見にすぎませんが、 「表現」が不十分である場合は、内実も不足しているわけです。「偽善」というコトバの使い方が浮いているのは、【善/偽善】ということに関して認識が浅いのです。 他人から「あなたは偽善者だ」と言われたら、傷つく前に、まず相手の言葉をしっかり理解した方がいいでしょうね。どういう所が相手にはそう見えているのか、何を指してそういうのか、また、対手の知力や人柄によって、その意図は、誠実なことばなのか、どうか、そういう認識の広さと深さのなさに、むしろ、もう少し誤魔化さずに傷ついたほうがいいのかも知れませんよ。 ま、再度念を押しますが、他人のあり方を、どうすべきだ、と押し付けるツモリはありませんよ。私のような、孤独な思索者は、政治的な愚か者とは違いますから、基本的に、意見というのは独り言なんです。 ** 因みに、私の >>78 で、 食いつくなら、親鸞ではなく、『マクベス』の方です。 (失礼) * 86を理由として ここにあったコメントを削除します。 ハァモニィベルさんへ レスをありがとうございます。 私の頭は単純です。(開き直りとして(笑)) 親鸞のいう悪人とは悪人の自覚を持った者、という意味に理解していました。自覚のない善人でさえ救われるのだから、悪人が救われないはずがないという意味だと・・確か高校の教科書に書いてあった気がします。すると善人イクォール偽善者ということになりますが。他者に悟られるかどうかではなく、自覚の有無が問題なのではないかと私なりに考えます。とかく善をなそうとするものを偽善者と揶揄する昨今の風潮、偽善者呼ばわりされることを恐れる風潮に対し、一石を投じる泉谷氏の発言だったと思います。私自身、見ず知らずの他者から偽善者と決めつけられ、無用に傷ついてしまう経験があり、そうですよ、私は偽善者ですけどなにか、と一旦開き直る必要を感じてのここへの書き込みでした。他者から偽善に見えようが、それを自覚していようが、他者に対する反論も弁明も必要ではないという自戒です。善をなすことは難しいけれど、それを求めもめざしもしないものに、「お前の善は偽物だ」と言われる筋合いではないということです。あ、そうか、良い偽善者は偽善者であることを悟られない、とおっしゃる意味がわかりました。開き直るより、表現の仕方を工夫せよということかもしれませんね。ありがとうございます。 * 偽善者にも悪い偽善者と善い偽善者がいる。善い偽善者は偽善者であることを見抜かれない。といった感じのことを、いつだったか、むかし、渡辺一夫という仏文学者が「偽善のすすめ」という随筆で(逆説として。開き直りでなく)書いてたように思うが、それより昔、親鸞、それより昔、法然が「悪人正機」を説いていた。わたしは、それで、すーとするほど単純な頭をもっていないので、座右の銘にはできないが、 「さあ飛んで行こう 霧の中 汚れた空をかいくぐり」(シェイクスピア) という気分は持っている。 * いつだったか、テレビで泉谷しげるさんが、「偽善の何が悪い!俺のモットーは〔一日一偽善〕だ。もんくあるか!」といっていたのを聞いて、胸がスーっとしました。それで、もっかの私の座右の銘は、彼にあやかり、〔一日一偽善 〕です。 \(^-^)/ 「このおっさん、どうせわたしより先に死ぬわ」 上司に理不尽なことを言われているときに心の中で呟きます。 「がちょ〜ん」と言ってすべてごまかします。 1 2 3 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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