2016 08/13 12:10
ハァモニィベル
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因みに、中途半端な議論を投げ合って錯綜させる人達というのは、「悪人」なんですか、「善人」なんですか?(笑)
片方が個人的解釈について、問いかけてるのに対して、「宗教の話」だとズラして応ずるのは、「善/悪」どちらなんでしょうかね?「偽善」ですかね(笑)。
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中身について語る以前に、たとえば、タイトル『歎異抄』の「歎異」の意味をよく考えたほうがいいかも知れませんよ。
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キチンと議論するなら、法然の頃の時代背景、親鸞の頃の時代状況、といったことを踏まえて、「他力」という問題についても、加味して考えるべきでしょうね。
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松岡さんへ
「悪人」のイメージは、
法然の場合なら、旧仏教の体制派から正統に叶うとみなされる者(=善人)
体制派からは、異端だとみなされる新しい、心ある存在(=悪人)
親鸞の場合なら、苦もなく努力が報われる様な恵まれた者(=善人)
いくら努力してもそれが実らない境涯にいる者(=悪人)
といった感じに(わたしにはですが)思えます。
勿論、これは、宗教でもなく、学問でもなく、
ただの私の視点にすぎません。
(もう、他には書かないと思うので、
万一、わたしに用があるときは、「蝶としゃぼん玉」へどうぞ。)
では。
失礼しました。
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