明治の文章に関する駄文
佐々宝砂

筑摩書房版の「明治文学全集」に凝つてゐる。懲性が過ぎて、不図気付くと脳味噌が旧仮名遣ひになつてゐるのであつた。嗚呼美しき哉、旧仮名。

最近借りてきて面白かつたのは「女学雑誌・文学界全集」である。平田禿木の文章(私は禿木が好きだ)を読みたくて借りたのだが、巌本善治の評論が妙だ。をかしいの何の、暫し笑ひ呆けてしまつた。特に面白かつたのは「此の大沙漠界に、一人(いちにん)の詩人あれよ」と云ふ文章である。以下に幾らか引用しておかう。

  *

(前略)

文学者は下らぬ議論をして無用の討論会を開き小説家はイヤに気取りて重箱の隅迄批評し合ひ、意張る者と詰らぬ奴と怠けるものと死にたるものと役に立ぬ人物と放心したる隠居と冷たき論者と偏屈なる学者との極めて多きにつけ、吾人が一種の理想人を思ふこと頗る切なり。而して今の歌よみの只だ古しへに真似ることと、洋学者を罵ることと、天仁波(てには)の講釈をすることと、三十一文字を並べることとの外に知らぬに付けて、吾人が懐く所ろの此の思ひは更らにいよいよ切なり。左らば何をか思ふ、云く真成の詩人を懇望すること日に益(ますま)す切にてありなり。

抑そも真成の詩人なるものは決して今の人々が通例に想像するが如きものにあらず、若し心に思ふ丈けをすらすらと詠み出で、枕詞を台にして「らん」「ける」と甘(う)まく転結し、シヤレを巧みにして言ひ懸けを面白くもぢり、夫(それ)にて既に歌人なり詩人なりと言はれんには、ポーエツトなるものは何処にても容易(たやす)く製造せらるべし。

(後略)

  *

このあとの理論は実に退屈で、つまり佳き詩人は人徳者であると云ふ今もなほよく聞かされる話に過ぎない。しかし、可笑しいではないか? 明治の頃も、今も、かうした人間の嘆きは何も変はらぬ。阿呆らしくなる程変はらぬ。人間なんて進歩しないのだ。クロマニヨン人も、屹度明治人と、又我等と、大して変はらぬ嘆きを嘆いてゐたに違ひあるまい。

此の本で最う一つ面白かつたものは、湯谷紫苑の「全国廃娼同盟会年会の歌」であつた。「其一」もなかなかに笑へたが、「其二」は最う滅茶苦茶である。此様なものが真面目に歌はれてゐたかと思ふと、腹がよぢれる程馬鹿馬鹿しい。「其二」の方を下に引用して置くから、よく味はつて呉れたまへ。

  *

一、
みよやみよや サタナの城
みそらにそびゆる あの白壁。
二、
つめにさかれ 餌となりて
あはれ青ねんの かばねなるぞ。
三、
きけやきけや サタナのうた
しらべにあはする 三筋のいと。
四、
わなとなして 獲ものとせる
青ねんのいき血を のむ舌うち。
五、
どくのいきを はきだしつゝ
ほのほの舌もて なめてまはる。
六、
天地もふるひ くにのもとい
もゆる火のうみに 今かおつらん。
七、
さめよさめよ あいの角笛(かくてき)
ふじのいたゞきに なりとゞろけ。
八、
すゝめすゝめ すくひのはた
ほろびのちまたに うごかずたて。
九、
たてよたてよ 正義のつるぎ
サタナの脂に あきてこゑよ。
十、
かへせかへせ あい国の友
大和のみくにを かみにかへせ。


(初出 蘭の会内部掲示板「標本箱」)


散文(批評随筆小説等) 明治の文章に関する駄文 Copyright 佐々宝砂 2004-03-31 03:30:18
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