私の詩に英語タイトルのものはそう多くない。皆無というわけではなく、詩集に収めたものの中には"A Japanese Prayer"と"LOVE STORY"と二つ英語タイトルのものがあるが、前者はジム・モリソンへのオマージュ、後者は受け狙い(&ラブ・ポエムのパロディ的な意味)、いずれも英語タイトルの必然性が私なりにあってこその英語だ。我が盟友芳賀梨花子の詩は英語タイトルが多いが、わりと幼い頃から英語に親しんできた彼女の場合、英語タイトルは必然的に選ばれたものなのだろうと思う。しかしふつーに暮らしてる日本人の場合、英語タイトルにする必然性ってそれほどないのではなかろうか。