扉の手前
佐々宝砂

このうえなく暑くてかったるかったその年の夏
あたしは牛糞くさい風が漂ってくるベランダに
布団まで敷いて寝転がって
あたしにとっていちばん大切なものはSFで
ラジオから漠然と流れてくる音楽というものがあるにはあったけど
そんなものはどうでもよくて
みんな右から入って左からでてしまって
あたしの手元の本には
コードウェイナー・スミスと鈴木いづみの名があって
あたしの手にはピンク色したアイスキャンディーが握られていて
飲み物は父親がお中元に買ったくせに贈り損ねた薄茶糖で
ベランダの風は牛糞くさかったけど
それでもエアコンのない部屋にいるよりまし
あたしは日本語の歌がだいきらいで日本の小説がきらいで
でもSFだけ例外で
でも同級生でSFなんて特に鈴木いづみなんて読んでるやつはいなくて
そういうやつらと話をするために
いま流行ってる歌を聴いたりドラマを見るのもめんどくさくて
あたしはとにかくかったるくってかったるくって死にそうで
恋すらかったるくってしたくなくて
いちばん大切な大切なSFだけ抱きしめてねむった

ねむっているあたしの耳元
DJの叫びとともに扉がひらいたとき
あたしはどうすればよかったろう
あたしは扉をあけて
扉のむこうにゆくほかなかった
でも
そのころあたしはちっとも知らなかったし
気付きもしなかったけれど
なにも捨てたり決意したりする必要はなかった
あたしは扉をあけて
扉のむこうに向かって歩いていっただけ
それで
あたし
いまも歩いている
歩いてる
暑い暑い牛糞くさい風に吹かれていたときとおなじに
流行ってる歌を聴くのもドラマを見るのもめんどくさくて
あたしはとにかくかったるくってかったるくって死にそうで
でもあたしは前とちがう
あたしはいまSFより大切なものを抱きしめているし
それよりなによりあたしは歩いている
いまは歩いている


(即興)


自由詩 扉の手前 Copyright 佐々宝砂 2004-03-31 13:41:58
notebook Home 戻る  過去 未来