続レレレのレッ!
佐々宝砂

またはレタス魔人の逆襲。じゃなかった「れ足す言葉」の逆襲。「れ足す言葉」が何か知らない人は、先にhttp://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8106&from=menu_d.php?start=30をお読み下さい

私は、ら抜き言葉に慣れようとしたのと同様に、れ足す言葉にも慣れなきゃなあというつもりでこの文章を書いている。私は「れ足す」駆逐運動をはじめたいのではなく、れ足す言葉の存在意義を納得したいのである。いいかもういちど言うぞ、私は納得したいのである。ああいう言葉が生まれた背景には、きっと何か理由がある。私はその理由を知りたい。人は死ぬ、それはしかたない、あきらめる。しかしなんで死ぬのか知りたい。知ることができないまでも考えたい。思うに「れ足す」も未来の言葉だ。ら抜き言葉が普通の言葉として成立し、やがては辞書にも載るようになったころ、「れ足す」は今よりずっと普通になっているだろう。そういう方向に、日本語は動いていると思う。

自分を納得させるために、とことん考えてみたい。学者でもない人間が自分のために書く文章なので、わかりにくかったり、論旨がぶっ飛んでいたりすると思うが、どうかお許し下さい。また、「それは間違ってる」とか「それはもうこういう人がこういう本に書いてたよ」とかご示唆がありましたら、メールでも私信でもこの文章に対するレスでもなんでもいいですから、教えて下さると助かります。

てな感じで、GO!


可能動詞に、可能の意味の「れる」「られる」はつかない(それを無理につけるのが「れ足す」)。しかるに、可能動詞以外にも可能の「れる」「られる」をつけない動詞がある。つけてつけられないことはないがつけるとなんか変だなあという動詞がある。

たとえば「咲く」。「咲けれる」とは言わない。「咲けられる」とも言わない。「咲かれる」ならば言える。例文を作ってみよう。

「クリスマスに出荷したかったのに、十一月のうちにシクラメンに咲かれた」

上の文章、別におかしくないでしょ。花農家ならこんなこと毎年いってそうだ。でも上の例文の「れる」は、可能の「れる」ではなく受け身の「れる」。「咲く」という動詞に可能の「れる」「られる」をつけるためには、使役の助動詞「せる」をつけるか、「咲く」という自動詞でなく「咲かす」という他動詞を使うか、どっちかする必要がある。

例文1(○正しい日本語)
・花を咲かせる。→花を咲かせられる。
(自動詞「咲く」の連用形「咲か」+使役の助動詞連用形「せ」+可能の助動詞「られる」)
・花を咲かす。→花を咲かせられる。
(他動詞「咲かす」の連用形「咲かせ」+可能の助動詞「られる」)

例文2(×変な日本語)
・花を咲かさせる。→花を咲かさせられる。
(他動詞「咲かす」の誤用連用形「咲かさ」+使役の助動詞連用形「せ」+可能の助動詞「られる」)
・花を咲かさす。→花を咲かさせられる。
(誤用の他動詞「咲かさす」の連用形「咲かさせ」+可能の助動詞「られる」)
上記例文の品詞分解にはっきり間違いがあると気づいた。続々レレレのレッ!http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8240に正しい品詞分解を記載した。ここでは、訂正しないでおく。自分の思考過程を確かめるために、自分の誤りの記録を残しておきたい。


「ら抜き」と「れ足す」だけでも手一杯なのに、へんな新顔がでてきてしまった。例文2のような誤用を「さ入れ言葉」という。「ら抜き」「れ足す」同様、「さ入れ」は正しい日本語ではない。どこからきた、どこからきたんだ、この「さ」は! なんて今さら怒る気力はない。「さ入れ」追放運動をするつもりもない。ただ考えたいだけだ。「ら抜き」「れ足す」「さ入れ」これら三種の現象に共通するポイントは、自動詞と他動詞の違いにあるような気がするのだが、どうもそこからうまくすすめない。

新明解国語辞典によれば、自動詞は「その動作が直接に影響を及ぼす対象を持たない動詞」。他動詞は「その動作が動作主以外のものを対象として行われ、それに何らかの影響や変化を及ぼす動詞」。うーむ。わかったような。わからんような。こうなったら例文。と思ったんだが、動詞をいくつかあげて「これはああであれはこうで」と説明するには、一覧表が必要だとゆーことがわかった。しかしエクセル嫌いなんだよー。うえーん。と、行き詰まってうなってるうちに家人が帰ってきたので、とっつかまえて訊いてみる。カギカッコ内の文章は私がつくった例文で、そのあとに続くカッコなし文章はわが家人の答。

「イヌタデは食べれない」 あり。
「いつかきっと見れるよね〜」 あり。
「字が読めれない」 だめ。そんなのなし。
「電子レンジでケーキは焼かれない」 なし。
「電子レンジでケーキは焼けれない」 許さん。
「土曜日には行けない」 よろしい。
「土曜日には行かれない」 あり。
「土曜日には行けれない」 だめ。
「雨に降られた」 もちろんあり。
「人工雪を降らせられる」 うーん、あり。
「砲撃の雨を降らせられた」 だめなような気がする。
「雨を降らさせる」 だめ。
「花を咲かさせる」 なんとなくだめ? いやわからん。
「息子に大学落ちられて大変」 あるような?
「石を落とさせられた」 なんだかわかんねー。
「ここから落ちれる」 あーもーめんどくさい早く飯つくれっ。

はいすみません。ごはん作ります。と謝って晩飯にアルモノ炒めをつくりつつ、「ねえ、野菜がいたまったって言い方はあり?」 「なにいってんだー」と夫が言い、しかし律儀にも「それはありでしょ」と続ける。いい夫ですねー。こんな妻ですみませんねー。まあこんなではありますが、夫婦仲はいいので心配ご無用(誰も心配してなかったり…)。ちなみに「いたまった」という言い方、誤りではないけれど、耳慣れた表現ではないので使わないようにしましょう、というのがNHKの言い分である。「いたまった」はこの際無関係だけどね。

わが夫は静岡生まれの静岡育ち当年とって五十歳。「ら抜き」は当たり前に使うが、「れ足す」は断じて許さず、「さ入れ」となると悩むらしい。「食べれる」は許すが「見れる」など一部の「ら抜き」を許さず、「れ足す」「さ入れ」はもちろん許さない私の口語表現の方が、やや厳しい。私の方が十四歳下なんだけど。ま、こうした言語感覚は年齢だけでなく個人差が大きいということだろう。揺れがあるのは当然だ。


と書いてきて、もうずいぶん長くなってきたので結論なしで続きはまた。





散文(批評随筆小説等) 続レレレのレッ! Copyright 佐々宝砂 2004-02-29 00:48:56
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