二流詩人7つの条件
佐々宝砂

誰がなんと言おうとも、私は三流怪奇詩人でありたい。インターネット上において、私は、ポエム書きのパキーネだったり、リリック&ことばあそび書きのりりと☆だったり、連作詩書き兼マルクス主義フェミニストのルクセンブルクの薔薇だったり、詩評書きの某PJ司書ささほだったりするのだが、実のところ三流怪奇詩人&売れない怪奇書評屋やってる佐々宝砂がいちばん好きで、それがいちばん私らしい気がする。ま、せめて二流にはなりたいな、いまのところは三流だけれど。

私の詩集『仮想地下海物語』の書評が「かばん」に掲載されたとき、技術的には甘いっていうようなことを言われた。そうして、私自身がその批評にものすごく納得してしまった。なるほど私の詩は技術的にたいしたことないなあと思った。私は、自分がかくありたいと思うよりは詩が下手だし、無知だ。そういう自覚がある。だから私は、詩の歴史を勉強したり、詩の技術を勉強したりした。ことばあそびや韻の練習をしたり、いろいろな詩型を試してみたり、不得意テーマに挑戦したり、継続的にネットの詩を読みその批評を書いたり、文学史の本を読んだり、テツガクをかじったり、図書館にある詩集を片端からよみあさったりしてきた。でもだんだん自分が何したいのかわからなくなった。もしかしたらH氏賞とか中也賞とりたいのかしらん私、それともネットで人気を得たいのかしらん、もしかして嶽本野ばらのごときゴスロリ・カリスマ詩人になりたいのかしらー、あるいはひとさまに尊敬されるネット詩界の重鎮になりたいのか? いや、もちろんそんなことはない。私がなりたいのは二流怪奇詩人だ。 

そもそも自分が何をしたいかわからなくなるようではいけない。思い出さねばならない。私は本当に心の底から二流怪奇詩人になりたいのである。教科書に載るような詩人にはあんまりなりたくない。一流にも大物にも重鎮にもなりたくない。いやさらに昔に遡れば、私は、詩人でも批評家でもなくほんとはマンガ家になりたかったのである。一流詩人や一流批評家や一流小説家になりたくなくても、一流マンガ家になら、今すぐにだってなりたい(笑)。しかし絵がヘタ過ぎて全く希望が持てないので、しかたなく二流怪奇詩人を目指している。二流怪奇詩人にはなれそうな気がする。少なくとも現時点ですでに、三流怪奇詩人を名乗っちゃっているし(そういう名前は名乗ったもん勝ちだぜ?)。ま、とにかく私は、本気で二流怪奇詩人になりたいのである。いいですか、嘘でもてらいでもポーズでもパロディでもやらせでもネタでもないよ、本気だ。ほ・ん・き・で、なろうと努力しているのだ。

私の原点に戻ろう。と、いうわけで、以下、私はこうありたいという理想の二流詩人像を書いてみた。なにも読者諸兄姉がこうなれということではないので、そこんとこ、誤解しないように。読者諸兄姉は一流詩人になって下さい。マジな話。


○二流詩人七つの条件

1.二流詩人は、「〜」させる。

二流詩人の詩の目的は、読者を泣かせて、立たせて、笑わせて、びびらせることだ。酔わせることだ。驚かすことだ。希望を持たせることだ。悟らせることだ。要は、読者を「〜させる」ことだ。一流詩人は人生の哲学的意味を追究したり詩に自分の心からのメッセージをこめたりするかもしれないが、二流詩人はそういうことしない。

2.二流詩人は、上手すぎない。

しかし、あんまり効果覿面に泣いたり笑ったりするとそれはそれで怖い(というかそんなにも人の感情を左右できたら教祖だかヒトラーだかになっちまう)ので、ほどほどにしておく(程度の才能しかない)のが二流である。二流詩人の詩に感動した読者が、勇んで戦場に出てしまうようではいけない。長らく掃除してなかった読者が掃除をする気になったり(笑)、しばらく笑ってなかった読者が笑いを取り戻したり、泣きたがっていた読者がほどほどに気分良く涙を流してくれたら、それが二流詩人のヨロコビである。

3.二流詩人は、わかりやすい。

二流詩人は読者にいろんなことをさせるが、基本的に、読者を悩ませてはいけない。なるべく、わかりやすく、見た目が美しく、舌にのせて快い言い回しを多用する。難しい言葉を使ってもいいが、意味がわからなくても楽しめるように使わなくてはならない。ただし、謎解きの楽しみを読者に与えたり、わけがわからないカオスに落としたりするのが目的の場合は、読者を悩ませてもよい(笑)。

4.二流詩人は、ドロボウだ。

言い換えれば、二流詩人は勉強家である。自分は二流だが、山のように一流芸術(詩とは限らない)に触れ、実験作や前衛作にも馴染む。そうやって技法を盗んできて、ちょっと面白いと思ったらすぐマネをしてはばからない。ただし、盗むのは技法だけである。一流の魂は絶対に盗めない。魂まで盗んだら盗作だ。

5.二流詩人は、常識的。

二流詩人の詩が極端に非常識だとしても、二流詩人自体は常識家である。少なくとも、自分ではそう信じている。一流詩人は一流なので多少エキセントリックでも許されるが、二流詩人は二流だから社会生活をまっとうに営まなくてはならない。だから不倫を書いても不倫はしない(笑)。殺人を書いても殺人はしない(当たり前だ)。ゾンビを書いてもゾンビにはならない(いよいよ当たり前だ)。

6.二流詩人は、マニアック。

自分の感情や思想はあからさまに詩にしないが、偏った趣味はこれでもかというくらい全面的に詩に表し、凝りに凝りまくる。私の場合は怪奇に凝る。人によってはスポーツに凝る。芸能ニュースに凝ってもよい。料理に凝ってもよい。愛欲に凝ってもよい。SMに凝ってもSFに凝ってもよい。二流詩人は趣味に走る。ただし! 二流詩人は、詩作だけは決して決して趣味にしない。なぜなら、

7.二流詩人は、プロ指向。

なのだ。だから詩は趣味じゃない。詩は仕事である。儲からなくても、依頼がなくても、仕事である。好きでやっている遊びなのだが、仕事である。遊びで仕事だから、真剣である。真剣だから、二流詩人と言われて恥じない。むしろ誇る。誇っているから、自分が二流詩人であることを親戚友人同僚に隠さない(笑)。故に、ご近所でバザールやフリマがあれば、多少顰蹙買おうとも、勇んで自分の詩集を売りにゆく。これぞ二流詩人の鑑である。




二流詩人7つの条件補遺一覧
名乗り http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4184
名付け http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4191
カテゴライズ http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4652


散文(批評随筆小説等) 二流詩人7つの条件 Copyright 佐々宝砂 2003-12-09 03:18:30
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