“かわいい匂い”の正体
大覚アキラ

『かわいい匂い』チアーヌさん
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=20788


チアーヌさんの『かわいい匂い』という作品には、ふたつの匂いが
登場する。ひとつはタイトルにもなっている“かわいい匂い”。そ
してもうひとつは“わたしの内臓の匂い”。ここでひとつの疑問が
湧き上がる。“かわいい匂い”=“わたしの内臓の匂い”なのだろ
うか。たぶん違う。“わたしの内臓の匂い”は、“今もすこし/す
る”らしいが、“かわいい匂い”とは別のものだ。“かわいい匂い
”とは、一体何だ? そして、なぜ“わたしの内臓の匂い”がこの
詩に登場する必要があるのだろう。

“わたしの内臓の匂い”というのは、言い換えれば“わたし”の<
しるし>だろう。産まれたての“こども”が“わたしの内臓の匂い
”を放っている状態というのは、“わたし”から産み出された“こ
ども”が“わたし”と別々の個になりながらも強い一体感を保って
いる状態なのだろう。それが今は少ししかしなくなってしまった。
このあたりに、なにやらヒントがありそうだ。

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ライアル・ワトソンの著書『匂いの記憶』(光文社刊)によると、
人間の鼻にはヤコブソン器官というものがあるそうだ。人間に限ら
ず脊椎動物の多くがこの器官を持っている。約2世紀前にこれを発
見したデンマーク人学者の名に因んで名づけられたこの器官は、一
般的な嗅覚とはまったく別の機能を持つものであり、フェロモンを
認識するものとして機能しているらしい。

そういえば、蟻はフェロモンで仲間とコミュニケーションしている
そうだ。道標となるフェロモン、外敵の襲来を仲間に報せる警報フ
ェロモン、そして性フェロモン。グループごとに固有の匂いがあり、
自分のグループを的確に峻別していると言う。

また、『匂いの記憶』によれば、鼻と脳を繋ぐ嗅神経は嗅球という
ものに収束しているが、ヤコブソン器官から出ている神経は副嗅球
に繋がっているという。嗅球はいわば「鼻の脳」であるのに対して、
副嗅球は「顔の脳」と呼ばれる部分だ。まだはっきりしたことは分
かっていないようだが、どうやら副嗅球は味と匂いの中間のような
情報を集めているらしい。そして、ぼくたち人間をはじめとする哺
乳類の脳では、その副嗅球は視床下部と繋がることで古い経験を新
しい刺激と統合するという役割を果たしているらしい。

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ヤコブソン器官のなせる業かどうかは知る由もないが、母は“泣い
ているこども”を抱き締めながら、“こども”と“わたし”が一体
感を感じあっていた過去の記憶を再確認しているのではないだろう
か。親と子には、どんなかたちであれ必ず別れなければならない時
がくる。“わたし”は“泣いているこども”を抱き締めながら、や
がて訪れる訣別をぼんやりと予感しているのだろう。

そうだ、“泣いている”から“かわいい”のだ。それは“わたし”
から確実に一歩一歩遠ざかりつつある者が垣間見せる、か弱さであ
り脆さだ。そして、そこに微かに残る“わたし”の一部分だった愛
おしい痕跡。

そうだ、それこそが“かわいい匂い”の正体だ。“わたし”と“泣
いているこども”は、いわばフェロモンで会話しているのだ。“頭
に鼻をくっつけて/くんくん嗅ぐ”母の胸に顔を埋めて、“泣いて
いるこども”もまた母の匂いを嗅いでいるのだ。そこには、濃密な
母子のコミュニケーションがある。父親には立ち入ることのできな
い聖域であるようにさえ思える。

たぶん男は永遠に“かわいい匂い”を嗅ぐことはできない。できた
ような気がしても、それは飽くまでも気がしただけだ。なぜなら男
は(父親は)ここまで強力な一体感を“こども”と共有しえないか
らだ。科学が進歩して生殖に革命が起こり、男が妊娠したり出産し
たりすることが可能になれば、男にも“かわいい匂い”を嗅ぐこと
ができる日が来るかもしれない。これは、母にしか描けない詩だ。
そう思って読み返してみると、なにやら嫉妬を感じる。

今度、娘が泣いているときに、匂いを嗅いでみようと思った。


散文(批評随筆小説等) “かわいい匂い”の正体 Copyright 大覚アキラ 2005-07-01 11:38:13
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