分からない という欺瞞の詩
道草次郎



地球に於ける生命の反転現象について



そろそろ認めよう、途轍も
なく分からないのを。まず世界の根底が
分からない。そして根底に根底が
あるかも、根底
の構造やその在り方もよくわからない。利口になればなるほど、どうも無口になる傾
向がある事からも、この分からなさ
は堂に入っているようだし。だから踊るしかない。
狂ったようにではなく、じっさい狂って踊ることが相応しいのかも
しれない。何故という問いかけそのも
のの中に営みはあり、そこから脱出することは不可能だ。ところで動物
たちはとっくにニルヴァーナに達してしまった。サバンナを
疾走してるのはじつは彼らの
抜け殻で、クジラや蛸たち
だけが辛うじてまだ仲間でいてくれている。しかしそれも
時間の問題だ。もし他の星から地球外
知的生命体がやってきたとして、まずはじめに彼らがすることはサ
バンナを走っている抜け殻たちを連れてきて研究することだろう。ちょうど古生物学者
が太古の生物の痕跡を
地層深くに求めるように。きっと人
間は見向きもされない。宇宙にありふれた渦巻運動やフラクタル構造ぐらい
にしか見てくれない筈だ。一通り研究が済んだら彼らは
さっさと次の星へ行ってしまうに違いない。さあ認めよう、やはり途轍もなく分からない
のだ。そして、
その分からなさ
を抱えて生きて行くしかないのだ。
それが人間であるということ。人間の人間たる所以は、兎にも角にも
分からないことを分からないままにしておくということに尽きる。でなけれ
ば動物たちのようにあちら
の世界へ行ってしまうことになる。ニルヴァーナの世
界。分かる分からないを遥かに超えた
永遠。何もかもよく腑に落ちるという終着駅。
もう一度言う。認めよう、分から
ないことが人間を人間たらしめていることを。動物ではなく人間であると
ここに宣言しよう。そして…ああっ踊ろう!祝祭のように!歌おう!讃歌と
いう讃歌を!
人間よ、永遠なれ!!









自由詩 分からない という欺瞞の詩 Copyright 道草次郎 2020-07-21 01:45:05
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