Time Waits For No One
ホロウ・シカエルボク




古く錆びれたドアの前にはふたつの石が置いてある、ひとつの石にはわたしの名前、もうひとつの石にはあなたの名前が書いてある
ふたつの石は苔生して、きちんと目をとめて見なければきっとそれは土塊のように思われてしまうだろう
ふたつの石は結界のようにドアの両端近くにひとつずつ置かれてある、ふたつの石にはきっと祈りがある、それは体系化されたものではないけれど、では、そのドアを開けようか―?
ドアを開けるとキッチンがある、片付けられていて、朽ちかけて埃をかぶっているけれどある種の秩序がそこには保たれている、空気はしんとしていて静寂が騒がしい、すべての住人の居ない家がそうであるように
シンクに近づき、化石のような蛇口を捻ってみる、迷子になってもう数十年は経つのだろう赤茶けた水が、臨終のときの最後の息のように漏れる、排水溝に、流れていく…彼らはそこできっと、時との再会を喜ぶのだろう
シンクの横の窓からは雑草の絨毯が敷き詰められた空地が見える、あそこには昔何か大きな建物があって…人が殺されたことがきっかけで閉鎖されて、いつしか取り壊されていた、取り壊されてからもあの草むらの中に何人かと何匹かの死体が投げ込まれて騒ぎになった、凍てつく風に色褪せた草がそよぐさまはなぜか高温の炎に似ている、壁掛けの時計は似て非なる時間を指したままとまっている…時計の下にはリビングへ続くドアがある
ドアは合せ木を白く塗ったもので、ブロックチョコのようにガラスを嵌め込んである、そこから見えるフローリングはとても暖かそうな陽だまりに包まれている、実際にはそこにぬくもりなどないのだけれど…レバーハンドルを握り押し下げると、長く眠ったあとの伸びのような音を立ててドアは開く、リビングもやはりきれいに片付けられている、年月の分だけ積もった埃以外そこにはなにもない、かつてそこにあったさまざまなうごめきはもう二度と繰り返されることはない―どうして少し甘い香りがするのだろう?でもその香りの正体は絶対に知ることが出来ない、探して見つかるような秘密はもうここには仕掛けられない―リビングの奥にはふたつの扉がある、ちょうど両手を真横に伸ばした人間が間に立ったくらいの距離で(それはまるで玄関に置かれていたふたつの石のようでもある)
右手のほうのドアに手をかける、やはりそこにはなにもない、ここにあるすべての喪失はきちんと準備されたのちに執り行われたものだ…窓の向こうには懐かしい空が見える、他のものはすっかり変わってしまったけれど…そんな窓からそこを眺めてはいけない、なぜだかそんな気持ちになる、そこにあるものに囚われてはならない、それはもう演奏されることのない楽譜のようなものなのだ―目をそらして、壁が繰り抜かれたクローゼットのドアを開ける、穏やかな暗闇の匂いが一瞬漂う、一見そこにはなにもないように思える、だけどその底板は外れるようになっていて…ぽっかりと空いた空洞にはおさない宝物が埋蔵されている―でももうその価値は暴落してしまった、だから在るままに失われてしまった
右手側の部屋を出て、左手側の部屋に行く、同じつくりだけれど、その部屋のクローゼットには宝物は隠されなかった、宝物という概念はその部屋では生まれることがなかった、クローゼットの底板が外れることがなかったからなのかどうかはいまとなっては判らない、すべての時間が経過し過ぎてしまった…クローゼットを開ける、暗闇の質が向こうとは違う気がする
左手側の部屋を出て、浴室に入る、不自然に広い浴室、大きな窓のあるその浴室で、陽のあるうちに入浴するのがとても好きだった―些細なことだったそんな記憶が、なぜかひどく鮮明に思い出される、むしろそれだけがいちばん確かなことだったみたいに…いまでも誰かを待っているみたいなその部屋の中で一瞬、そんな迷宮のような時間の一部になるのも悪くないようなそんな気がした、フックにかかったシャワーを取り、バスタブに向けて蛇口を捻ってみたけれど、その管の中には一滴の水も残っては居なかった。




自由詩 Time Waits For No One Copyright ホロウ・シカエルボク 2014-12-07 12:07:23
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