コンピューター館の次のテナント
番田 


多くが死んでいく気がする街の中で言葉を探している。だけどそれは同時に生きていくことを意味する。しかしそれはそこで自分にとっての明確な答えの何も意味しない。かつて隆盛を誇っていた秋葉原も今は電気街ではなくカルチャーの発信地に変わっしまっている。AKBの台頭もそのひとつの現象の一角として見受けることができる。またメイド喫茶も心の癒しを求めるサラリーマンなどの心を捉えるに今では至った。アップル社には見受けられない改造PCなどのパーツ文化にはすでに昔紙面を賑わせたような話題性はなく、街の産業を活性化させる媒体としては相当難しい。秋葉原の価格自体もネット世界に打ち勝つことが困難だ。女性のフィギュアや各種メディア媒体にしてもしかり。困難でありつつ、アニメや娯楽を扱う店舗が目減りする一方で、何か気取っていない直接的な娯楽産業ーー風俗店のようなものが最近増えつつある。そうではない限りは間違いなくアキバにも冬の時代がやってくるだろう。そしてそれは現実となりつつある。


今は昔、隆盛を誇っていたラオックスコンピューター館前の通りもかつての面影はなくすでに閑散としていて、パーツショップの姿など見る影もないのが今の状況だ。T−ZONEにしても従来の売り方を変えなければ新しい客層を取り込んでいくこと自体が不可能な状況となっている。しかし基本的にメディア媒体の商売は相当のスピードを要求されるため、値段重視の商売から既存客からの収入をあてにした商売にシフトところで、先行きは怪しみを増すばかりだ。しかし、先日石丸電気で購入した15000円のフィリップスのひげ剃りがアマゾンでは9800円で販売していたのには驚いた。店舗も店頭でのみ番号を掲示するようなくじのイベントを開催するなどして活性化を図っているようだったが、人や時代の流れをくい止めるのはとても難しいだろう。


そんな時代の流れの中で、コンピューター館は今一階は漫画本屋になっていて、二階から上はフィギュアなどのショップになっている。値段を見たが高かった。昔この辺りには僕はNECのパソコンを買うために出入りしていた。パソコンは今では昔で言うオーディオ機器のような位置にされているように思う。小さなビルの中で固定客を狙ったかのようなダイナミックオーディオのショールーム。でも好きな人はそこで真空管アンプを買わされるような形で満足する。今も昔も秋葉原が日本や世界の文化の発信地であり今後も変わることはないだろうが、真空管アンプ、そしてパソコン、アニメとながれて来た今、次のムーブメントがいまだに現れないことに私は手をこまねいて我慢させられているようなのが今の状況だ。




散文(批評随筆小説等) コンピューター館の次のテナント Copyright 番田  2014-01-18 20:50:25
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