木漏れ日カメラ
木屋 亞万


日曜日に朝から起きているときは
誰かのために生きているときだ

カメラを首から提げて、僕は君にぶら下がっている
今日の京都は余所行きの顔
君も1時間級の化粧で、休日用の匂い
社会と休戦中の君は、僕の影から髪をぎゅっと掴んで、ぐいぐいと引っ張っていく
僕はイテテとその遊びに乗る

十字路の真ん中でふと立ち止まり、カメラを構える
こちらを見ていないひととき
カメラに気づかれたときに、もうシャッターは切られている

心のなかの腐りかけた水分をすこし新鮮なものに変えた人たちで溢れる街
あみだくじの線より濃密にすれ違う人々に、ドラマも出会いも訪れない
袖を触れ合う人が多すぎる
袖から先がつながりあわなければ、縁とはいえないのかもしれない
君と袖がつながりあう影をフィルムに収める

街路樹は欅、新緑がすこし擦れてきて、とても強い緑になる
木漏れ日がキラキラと影を作って、アスファルトに光を映し出す
ぎらぎらの太陽ばかりのプラネタリウム

何度も何度もシャッターを押す
フィルムや写真は世界を焼き付ける
僕は心でも何度もシャッターを切る
心はいくつもの大切な思い出を大事に掴んで放さない
すぐには出てこないけれど引き出しには過去が大量に眠っている
そのどれもが容易く壊れてしまう
写真は紙ですぐに燃えてしまう、フィルムは光にさえ焦げて真っ黒になる
色も記憶も少しずつ褪せてゆく

風に揺れる木漏れ日
何度シャッターを切っても、世界は止まらない
休日の午前がいつのまにか午後に変わって
影に踊る光の粒が取り囲む、二人の影

木漏れ日の映写機に目を向ければ
枝葉の隙間から眩しい太陽の光が注ぐ
太陽がどれだけ世界の影を切り取っても、世界が脆くなることはない
太陽は今しか切り取らないし、今をどこにも残さない
僕らは地球にぶら下がり、地球は太陽にぐいぐい引っ張られている

忘れたくないということが僕の生きる意味のひとつだ
大切な笑顔を残すために僕は今日もシャッターを切る



自由詩 木漏れ日カメラ Copyright 木屋 亞万 2010-05-26 01:24:35
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