くちなしの
木屋 亞万

歌を聴くならヘッドフォンを買うべきだ、今すぐにでも。
耳を覆うタイプがいい
それを装着したなら
あの歌をかけて
目を閉じて夢想するといい

(ノスタルジックなギターの音色に合わせて
女の声が聞こえるだろう)

彼女は小さな密室で一生懸命にマイクに歌いかけている
唇が触れるか触れないか
口紅が付着するほどに接近したマイクの黒い膜、の
そのすぐ向こう側には
ヘッドフォンの膜に触れるこの耳がある
彼女のマイクはわたしの耳であり、あなたの耳だ
ふと目を開いて横を向けばそこに彼女がいるかのような
声の近さ

はっきりと言葉を形取ろうとする艶やかな
赤い唇

声を響かせようと身体の底から
吐き出される息

肺は息継ぎを要求して苦しげに
短く風を呼ぶ

音を立てぬよう注意しながら
リズムに乗る彼女の

髪は後ろで結われていて
後れ毛だけがわずかに揺れる

額を伝う汗は
ただ静かに

脇の机に置かれたペットボトルの水
小刻みに波紋を起こす

「て」の所で舌が押し出す白い飴玉

「う」にすぼめられた細いさざ波

「た行」は踊る、たてとた、ちちつた。とったち、たてた

「は」「あ」で空へと吹き上げられていく天井

言葉は、彼女の口の中で洗濯され
ギターの風に乾かされていく

部屋は、言葉と想像の両翼に押し広げられ羽ばたいていく
花の名前が出るたびに、芳しい花弁の開く気配 


やさしい声でさびしい詩を歌う
いったいどのような表情で。
目を開いて隣を見ても
そこにはいつもの空間があるだけ

目を閉じている方が
孤独の紛れるときもある
ヘッドフォンは独りの味方
四分間は蜜の中


自由詩 くちなしの Copyright 木屋 亞万 2010-05-25 23:55:09
notebook Home 戻る  過去 未来