はなび
木屋 亞万

冬に花火をしないのは空が寂しくなるからだ、と思う
寒い中に一瞬だけ弾ける火の花が
マッチ売りの少女が起こす小さな火のように儚く消えて
すぐに冷たい風に流れ去っていく
乾いた夜空の、花火を冷笑する冷ややかな視線
と、静寂

いくら重ね着をしても風が手足の熱を奪う
身体の芯が震える
油断していると泣きそうになる
気付けば足元ばかり眺めていて
眉は額にギュッと集まる
そんな険しい顔の人ばかり歩く街のなかを
女が裸で歩いている
背筋を気持ちが良いほどに真っ直ぐ伸ばして
しなやかな手をしっかりと振りながら
軽快に歩いている、顔はうっすら笑っているではないか
背は高く、肌は標識の柱のように白くてツヤがある
寒さに身を縮こまらせることなく、身体を震わせることもない

彼女はそのまま歩道橋を上っていった
階段を降りるときに揺れる乳房を
犬を散歩中の通りすがりの老人はおもしろいくらい凝視している
裸の女王様だの、と犬に話しかけると老人は道路の向こう側へ消えてしまった

女は歩道橋脇のセブンイレブンに入った
そしてレジに立ち尽くす店員に尻を向け、陳列台を物色し始めた
レジ正面の三つの棚を軽く探した後、店員に花火は置いていないのか、と尋ねた
アレは夏しか置いていないんです、と店員は答えた
店員は視線を下に逸らすフリをして彼女の陰部をちらりちらりと見ていた
ホームセンターに行けば売っているかもしれません、と店員は言った
しかし彼女は閉店時間を過ぎたホームセンターには行かず、
コンビニの近くにある民家の前で立ち止まり、インターホンを鳴らした

はい、というスピーカー越しの主婦の声に
ちょっとお借りしたいものがあるのですが、と彼女は丁寧な口調で話した
インターホンにはカメラが付いていなかったので、
何も知らずに家から出てきた主婦は
裸の女を見るなり悲鳴をあげて、すぐに家の中に戻ってしまった
家の中から慌しい足音が引っ切り無しに聞こえて、
主婦はいくつかの服をその手に持って玄関から再び顔を出した
サイズが合うかはわからないけれど、と言いながら服を差し出し、
警察には連絡した方がいいのかしら、と媚びるように小声で尋ねた
女は両手でしっかりと服を受け取ると深々とお辞儀をして、その家を後にした
彼女が歩くたびに揺れる彼女のお尻の肉を
主婦は玄関先でただひたすらに眺めていた

女は服を持って歩道橋をもう一度渡った
そして交差点で信号待ちをしている車に近づいていった
女が窓をノックするだけで、彼女はヒッチハイクを成功させた
運転手が性衝動に頭を侵されていたからだ
運転手の男は自分の息が荒くなり、鼓動が強く早くなっているのがわかった
スピードを出して、と女が言った
男はその声に導かれるように
裸の身体をシートベルトが締め付けている姿を見て、思わずアクセルを踏み込んだ

男の家はすぐそこだったのだが
訳もわからず全速力で直進を続けていき、すぐに高速道路の入り口についた
高速で行きましょう、と女が言った
男には女が拘束してイかせてちょうだいと言っているように思えた
男はその厚い唇が動くさまに視線を奪われて、前を全く見ていなかった
しかし不思議と事故を起こすことはなく、高速道路をひたすらに進み続けた

少し落ち着きを取り戻した男は
女が膝の上に綺麗に畳まれた服を乗せていることに気付いた
その服を着ないのかい?と男は尋ねた
男は女に服を着て欲しかったのではなく、
女の膝を隠している衣服が不要であるならば後部座席に押しやりたくてそう言った
女は男の声など聞こえないと言う風に道路が切り取る短い地平線を見つめている
着ないのなら後ろに置いておくといい、と言いながら
左手で膝の上から服を取り除き、後部座席へ放った
それは紺色のワンピースとベージュのカーディガンであるように思えた
女の白くふくよかな太ももが露わになった
男はますます前を見なくなった

男がそれからどれだけ女に話しかけても女は何も答えなかった
やがて海に着いた、
男は長くドライブするために、道に迷うための努力をしたが、
この国は海に囲まれているので結局は海に出てしまったのだった
夜中に交差点で女を車に乗せてから、男は夜通し運転を続けていたために、かなり眠かった
我慢しきれなくなった衝動を胸に、女に強引に覆いかぶさった
シートベルトを外し、女にキスしようとしたときに
外へ出ましょう、と女が言った
男も何となく外に出なければならないような気分になった
この状況で外に出ないでどうしろと言うのだとさえ思った
外に出ると辺りはとてもよく冷えていて
車のライトを消してからは、何も見えないくらいに真っ暗だった
波の音だけが絶え間なく響いている

花火、と女は言った
花火は持ってないがジッポーの火ならある、と男はポケットを探った
ライターの火を頼りに二人はコンクリートの壁を越えて砂浜に入った
暗すぎて女が裸であることが見えないのなら、女が裸である意味はないなと男は思った
と同時に、誰にも自分の姿が見えないのなら、自分が服を着ている必要もないと思った
男は服を脱ぎ捨て、裸にジッポーひとつを持って女と歩いた
男はさりげなく女と手をつないだ
足が海水に触れた
女に抱きついて、砂浜に倒れこんだ
女の手足も自分の手足も冷えていたが抱き合えば温かかった
海水の冷たさは痛いほどであったが、女の髪が波に揺れてふわふわと漂っている様は
何ものにも変えがたい美しさがあった
女を抱きしめているあいだに、砂浜に置いておいたジッポーが倒れて消えてしまった
それでも女の温もりと肌の柔らかさは消えなかった
目を閉じていても女のミルクティのように白い肌がまぶたの闇に浮かんだ
女からは乳の匂いがした、それは赤ん坊の枕の匂いに似たものだった
女の髪が海水に濡らされるたびピチャピチャと鳴った
女はピクリとも動かなかった
どうしてよいかわからないまま
男は女に身体を密着させ、胸に顔を埋めていた
やがて水平線が白み始めた
ハナビ、と女は言った
声が震えていた
男はハナビがないと大変なことになる気がした
しかし女の元を離れたら、もう女とは触れ合えないだろうという予感もあった

男はハナビを捜し始めた
砂浜に落ちているハナビはどれも使用済みで風雨にさらされて黒ずんでいた
ライターの火がなくても辺りを見渡せるほど明るくなってきて
男は自分の見える範囲にハナビらしきものはないということに気付いた
そして、女のところに戻ろうと思い、元居た場所へと引き返した
女はまだいた、倒されたままのマネキンのように波に平行に横たわっている
顔を覗きこむと目は開いていて、男を視界に見つけるとhanabiと呟いた
なかったんだ、ごめんな、と男は呟いた
女は三度瞬きをして目を閉じた
朝日が水平線から頭を出そうとしていた

朝が来た
空は驚くべき速度で塗り替えられ、
多くの人々にとって平凡な夜は平凡な朝へと移り変わっていく
男は朝日が生まれ昇る速度に驚きながら、太陽をおもしろいくらい凝視していた
彼の瞳は太陽の強烈な光線に攻撃され、防護まぶたが降ろされた
男がもう一度目を開けて、痛めた目が正常な視野を取り戻すまでにわずかな時間がかかった
男が足元を見やると女は氷付けのジュゴンになっていた
おい、と言って抱き起こすと胸の所から2つのリンゴが零れ落ちた
男はそのリンゴを左右の手に取り、思いきり握り締めた
ハナビのようにリンゴを弾けさせる姿を思い描きながら、
それほどの握力は持ち合わせておらず、
自分の車へと戻った
座席に腰掛け、自分の服を紛失したことなど全く気にせずに
足をハンドルに乗せ、右手のリンゴを噛んだ
口を最大まで広げて、できる限り大きなひと口で噛んだ
リンゴはみずみずしく、ひんやりとしていて
男は両目から、控えめな彗星のような涙を一粒ずつだけ流した


自由詩 はなび Copyright 木屋 亞万 2010-01-17 02:53:07
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