檸檬
木屋 亞万

自動販売機は赤い、もしくは白い
そしてその足元
自販機の底とアスファルトの隙間にはゴキブリが住んでいるんだ
もしも500円玉がそこに転がり込んだとしても
手を入れるなんて馬鹿なことはしないほうがいい
君の指先は500円以上の価値があるからだ

レモンと名の付く飲料が世間に溢れるようになった
そして事あるごとに私はそれを買って飲んだ
しかしどれもただの甘い水
口に含むだけで眉間にシワがより、飲み込むときには豚鼻になる
農薬だらけのレモンをドブにさらして3年半放置したような味だ
その泡だった水を包み込む温度のないペットボトルときたら最悪だ
もっともアルミやスチールの缶は金属臭に吐きそうになるが

求めるのはレモン水
半分に切った檸檬をギュッと絞る
果汁のなかに檸檬の粒が紛れるのがまた堪らないんだ
そこにシロップを入れる、もし無ければ蜂蜜でも構わない
そこに水、寒い時期ならばお湯を注ぐ
ほんの少しでいいんだ、多すぎてはいけない
温かい方が香りは強くなるからお湯は水の時より少し多めに入れても大丈夫だけどね
蜂蜜やシロップに檸檬を漬け込んでおいた方がよりおいしくなるだろう

コップは厚めのガラスでできたものがいい
レモン水が口に届くまでの間に
唇に触れているガラスのつめたさと
その冷気の表面を漂う乾きが
流れてくる液体によって潤されていく
そして唇に液が触れた瞬間
口の中に檸檬が広がり、その仄かに青く渋い香りを追撃するように
甘い蜜が口内に赤く立ち込めるのだ
そして堰をきったように黄色い香水が流れ込んでくる
舌が粒だった感覚器を痙攣させながら、香りの海に身を沈めて
喉の置くまで芳醇な檸檬に汚染されていく
鼻の中と外をつなぐ二本の匂いのトンネルが開通して
私の顔面は檸檬になる

ホットで飲むならばマグカップは口の小さいものにした方がいいだろう
檸檬は母の家の庭で実っているものにした方がいい
化学肥料も使わず無農薬で育てているから匂いがぐっと強いんだ
舌が、鼻が、目が、耳までもがあの檸檬を求めている
そしてその檸檬が生み出すレモン水の味を求めている
暑い日にも寒い日にも、そのどちらでもない日でさえ私は
勉強に明け暮れた夜の3時にも
熱にうなされた昼下がりにも
あるいは高級な洋菓子をいただいた日曜日にも
私はレモン水を飲むことができた

最近どうにも口の中が苦くなって、レモン水は遠いものになった
化学薬品に身体を蝕まれて、細胞のいくつかが権力に反抗し始めた
私の世界は生まれたての赤ん坊のように狭くなってしまった
背中はほとんどベッドに張り付いたままで
骨よりもベッドの方がよく曲がる
パイプを吹いて小さい玉を浮かばせる子どものおもちゃみたいな
馬鹿でかいプラスチックのパイプでお茶や薬を飲む日々だ
カルシウム不足か、あるいは日の光を浴びていないからか
最近妙にイライラする
この間などは、目の焦点が定まっていない時があると言われた
そのとき私は幼き僕になっているのだろう

レモン水をください、パイプ一杯分でいい
故郷の檸檬を使って、とは言わないから
せめて生のレモンと蜂蜜を使って作ったものを飲ませてほしい

穴だらけの青い天井が、
いつか見た青空みたいに見えてくる
コーヒーフレッシュを溶かしきってしまった後みたいに
雲と青空が混ざってクリーム色みたいになった水色の空だ
あぁ想像の檸檬のせいで唾液が出てきた
どうしようもなく笑えてくる



いや、
ありがとう、本当に
こんな私の願いを聞いてくれて感謝している
苦痛に塗れた生活での唯一の楽しみとなった
もしも私に言い残すことがあるとするなら
もうこれだけだ

こんなの檸檬じゃねえ
檸檬じゃねえよ、馬鹿やろう


自由詩 檸檬 Copyright 木屋 亞万 2009-12-05 03:32:32
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