海の彼方、 ☆
atsuchan69

 ――起床、起床! 

スチームを切られた鋼鉄の部屋の恐ろしい朝、
一夜の温みをようやく蓄えたアクリル毛布を剥ぎ取られ
既に凍り始めた虫襖(むしあお)色のジャージを脱ぐと
柔い生肌のかよわさが、たちまち鳥肌を立てた

ここは海の彼方、
待ち侘びた夜の終わり。

上下に揺れる、僕を含めた波間の裸たち
船首に聳えては今にも崩れる高波はしぶきを飛ばして、
整列した男女の凛々しい顔と顔をまえに
若い教官の一人が白い布地のホースを重そうに手にし
その時、毛織のコートを纏った年老いた教官の唇で
虚空に向けた、悲鳴にも似た笛の音が鳴った

 ――放水、開始!

やがて真鍮の先端がつよく海水を噴き、
僕たちは苛酷すぎる夜明けの洗礼を受ける

ただ、凍えるような波風と
明け方の気温の低さに比べれば、
それでも海の水はさほど冷たくはなかった
宙を仰ぐように一瞬、
オリュンポスの神々が支配する天空を盗み見ると
真っ赤に焼け爛れた暁の雲と闇が、
黒と茶と斑(まだら)に
鮮やかな地獄の火を映して拡がっていた

波は険しく、大蛇が踊るように激しくうねっている

 ――よし。全員、海へ飛び込め!

白髪の教官は顔色ひとつ変えずに言放った。

こうして、朝食の時間までに
自力で艦へ戻った者はわずか数人だけだった

 ある者は、沈み
 ある者は、鮫に喰われて

 またある者は、魚の姿に変わり
 ある者は、つよく白い光を放って・・・・


        ※


コーヒーと、田舎臭いソーダブレッド
そして目玉焼きと血を混ぜたプディング、
フライドトマトやソーセージを盛った
花柄の大きな絵皿がテーブルの上に並んだ

凪いだ海に浮かぶ洋上のカフェの一角に
入浴をすませ、制服に着替えた彼らが颯爽と座った

いつか死を軽々と超えてしまった、
七色の光沢をおびた素肌の君と僕との前で
現に別種の「新しい人」である彼らが食事をし、
今も、漣(さざなみ)に照らされた温もりの中で
コーヒーを啜り、和やかに談笑している

ここは海の彼方。

哀れな人間たちの夜は、やがて呪われた世界とともに沈んだ










※血を混ぜたプディングとは、豚の血の入ったブラック・プディング(ソーセージみたいな食べ物)のことです。


自由詩 海の彼方、 ☆ Copyright atsuchan69 2007-11-30 21:04:48
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