空中分解

この歳になると、リアルに、大抵のことがどーでもよくなる。
いや、たとえば自分内の、円グラフの中の大部分が、
「どーでもよい」
に塗りつぶされるぶん
却って「どーでもよい」の外側にある
「どーでもよくないこと」
つまり、自分の人生にとって
「本当に大切なこと」
だけが明瞭に見えてくる、といったほうがよいのかも知れない。


昔はよく喧嘩した。俺は地元の少年野球チーム
「ブラック・スコーピオンズ」
とゆう、弱小チームに所属していたが、
ライバルチームでもある、隣町の
「エラーズ」
の奴らが心底大嫌いだった。
だがエラーズは強かった。
ぶくぶく太ったカウチ・ポテト族みたいな
4番には、毎回ランニング・ホームラン打たれてたっけなー。
俺たちは、決して試合では勝てないから、ベンチから
卑猥な罵詈雑言を飛ばしたり、帰り際に
あらかじめ用意しておいた動物の糞類を投げては
いつも全速力で逃げていた。青空が高かった。
まともに戦っては全てにおいて勝ち目がなかった。
だがある日、
元エラーズだったやつがうちのチームに入ってきた。
「ブラック・スコーピオンズならレギュラーになれると思ってさ」
などと、皆の前でふざけた移籍理由を述べていたが、
監督も含めて、誰もその発言をを咎める者はなかった。
それから俺たちはみるみる仲良くなって、よく練習をさぼり、
いっしょにそいつの家でみんゴルをしたりして遊んだ。
昨日の敵は今日の友なんてゆうが、
どうしてこんなにすぐに仲良くなれたのか、
そのときにはまだわからなかった。


だがその理由がこの歳になって、よーやくわかってきた。
たとえば熱烈な阪神ファンだ。
熱烈な阪神ファン同士なら上手くやっていけるかもしれしないが、
しかし、一方が阪神ファンを止めて巨人ファンに鞍替えした途端に
たちまち二人の仲が疎遠になる、とゆうケースがよくある。
つまり、俺たちは熱心じゃなかったんだ。
熱心じゃないことに熱心だったし、いまにして思えば、
たぶん?信じる神?みたいなものが同じだったんだろう。
阪神や巨人、アイドルやケリー・バッグは
どこまでいっても神にはなれないが、
人間は有限だから、
どうせなら俺は、この先の人生は出来るだけ、
自分と?信じる神?が同じ者と共有できる時間を大切にしたい
と考えるようになった。


前置きが長くなってしまった、とゆうよりも完璧に脱線してしまったが、
まあ、人生は引き算だ。
どれだけ自分内の「どーでもよいこと」を削ぎ落として、
芯に残る信仰をいかに大切にしていくかがポイントだ。
だから俺は、およそ大抵のことはどーでもいい。
ヤフオクで買ったばかりの、
まず絶対にどこにも売ってなさそうな、
ケニー・ロジャースの顔面がでかでかとプリントされているTシャツが、
翌日、職場の同僚と思いきりカブってしまったが、俺は恥ずかしくない。
街角で配っているティシューが欲しくて、
わざわざこちらから手を差し出したのに、
俺の手だけが見事に、まるで空気のようにスルーされてしまったが
俺はちっとも気にしない。
さっき、素足で割り箸の袋を踏んづけたら、
袋の中に入ってたちっちゃい爪楊枝が足の裏に突き刺さり
じんわり流血しているが、俺はヘコまない。
そんなことはどーでもいい。
俺は気にしない。
考えても無駄なコトは
考えるだけ無駄なコトなので
始めから何も考えないコトに決めている。
そもそも俺はいつからこんな人間になってしまったのだろう。
まあそれもどっちでもいいさ。
コタツの上にわざわざポテトチップが置いてあるから俺は手を伸ばし
そいつを食っているだけの話で、ないならないで別段構わないし
誰も困らない。
殆どの事件とゆうものは
コタツの上のおやつみたいなもんさ。
本当は、あってもなくてもどちらでもいいものだし、どーでもいい。
そして相も変わらずどーでもいい俺の毎日はだらだらと続いていく。
さしずめ、情報の海から無尽蔵に流れてくる夥しい情報を、
上手にシャットアウト出来るのが、大人ってもんさ。
だから俺は大抵のことはどーでもいい。
こっちからスルーしてやる。
本当に大切な自分だけの信仰をひっそりと見据えて
それを大切にしたい。
だから俺はブラジャーを買おうと思っている。


おとといの深夜のことだ。
風呂上がりに何気なくミラーの前に立ってみて、俺は愕然とした。
下腹部にポッテリとついた余分な中性脂肪。絵に描いたよーなビールっ腹。
それは、懐かしいパックマンの似姿のようでもあり、しかし
氷上で身動きがとれなくなって、海に帰れなくなってしまった悲しいセイウチ
の姿でもあるような、、
この上なく恥ずかしい自分の肢体。
しかしそんなことはどーでもいい。
大したことじゃない。
俺が本当に打ちのめされたは、在りし日の記憶よりも
明らかに高度が下がっている、胸の2つのポッチリ。
つまり、乳首のラインだ。
乳首のラインが、下がっている。


なんとゆうか、俺はかなしい。
俺の身体の上を無常にするすると通り過ぎた時間ってヤツがかなしい。
決して在りし日の姿には戻れない、そして永遠に取り返しのつかない
俺がかなしい。
いや、そんなことよりも
俺の胸にたった2つしかない
乳首のラインが下がってしまったことが
俺は
ただただ
かなしい。

すごく微妙なことだが、女だって、誰だってそうだろう。
遺伝子に組み込まれた、目や鼻の、ほんのミリ単位のズレで一喜一憂だ。
ほんのそれだけのことで人の運命すら左右しかねない。
運命を左右する程巨大なミリ単位のズレ?
へっ。そもそもこれはそんなんじゃねえ。
乳首なんぞ普段から衆目に晒されるようなもんでもなし、
ましてや男の、それも俺のような素寒貧に貼り付いてる貧相なポッチリだ。
なんの値打ちもない河原の石ころに同然、むしろ品評にすら値しないものだろう。
この先の人生において誰が俺の胸のポッチリにチューモクするものか。
にもかかわらず、
俺はかなしい。
そこはかとなく
俺はかなしい。
胸の乳首のラインが下がったことが
俺はただただかなしい。
ポッチリのラインはあの空と同じ
かなしみそのものだ。


これは明らかに、「どーでもよくないこと」であり、
何を差し置いてでも対処せんければならぬ、トップ・優先事項だ。

これをお読みの賢明な読者諸兄、諸姉の方々は笑われるだろう。
この星の重力に、万物の法則に抗ってまでポッチリの高さをキープしたいのか、と。
それこそ身の丈知らずな生物がする莫迦々々しいことだよ、間違ってる、と。
だが、俺には俺だけが信ずる神があり、その間違いを正そうとは思わない。
とゆうか、俺はブラが欲しい。
この胸のポッチリラインを、せめてこのままの高さでキープしたい。
そのためなら、たとえどんな汚れた手段を使ってでも。


いや、翻って、ホントにそうなのだろーか。
いつしか、たんにブラを装着したいとゆう、ポッチリの内側から
沸き出た何やら素性の知れない願望とすり替わってはいやしまいか。
いいや、断じて違う、と、俺は言い切れる。
「早乙女愛よ。
この岩清水弘は
君のためなら死ねる!」
と、膝をガタガタ震わせながら言いおおせた、彼のように。
俺は岩清水信者だ!
俺は青春ノイローゼだ!
俺は俺の信仰を頑なに貫いてみせる!


と一念発起して、決心を固め、
デパートの女性下着売り場に足を運んでみたものの、
じつは下の階のエスカレータを登っているあたりから
意識が消し飛びそうなほどの
極度の緊張と
眩暈と
脂汗で
夢遊病者みたくそこから先の記憶があいまいだ。
ただ、ついにその日は
ブラジャーを手にすることが出来なかった
ことだけは確かだ。

帰りの電車の中でとぼとぼと
何も掴めなかった両手がかなしい。
こんなにも貧弱な自分の精神がかなしい。
刻一刻と沈んでゆく
胸のポッチリがせつない。
明日もう一度チャレンジしてみるが
果たして俺は
あの吐き気を催すような異質な空間で
本当にブラを手にすることができるだろうか。
このままでは、結局、さっきの二の轍を踏むだけではあるまいか。
つか、もしほんとうに成功したところで
俺はほんとうのほんとうに取り返しのつかない
後戻り出来ない人間になってしまうのではあるまいか。

買うべきか。
買わざるべきか。


眼前に相反する二つのを選択肢を突き立てて
膝を抱えて、一昼夜考えてみたものの
不毛な時間だけが徒にただただ流れ
日付けは変わりどこまでも回答は得られず
意見は真っ向から空中分解。


買うべきか。買わざるべきか。


途方もなくひろがる今日の空。
どこにも行けないかなしみ。
ああ、俺はどうすればいいのだろう。
かなしみをたった2つ
胸に携えて
俺はどこへ行けばいいのだろう。





(あ、タイトル『KANASHIMI IN MY HEAD』でもよかったかな。)


散文(批評随筆小説等) 空中分解 Copyright  2007-04-22 00:54:10
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