作者より:
(すみません。頂いたコメントとはあまり関係の無いようなことをだらだらと書いてしまって、無駄に長くなってしまいました。)
>森田拓也さん
ありがとうございます。
生まれて初めて俳句を書いてみました。想像していたより、さらに難しかったです。
4時間掛かって、やっと九句、頭から(というか身体から)絞り出しました。
(十句書こうと思っていたのですが、もはやへとへとでした。)
詩や短歌、あとは散文を書くのとは、ほとんど完全に別種の体験だと感じました。
部屋の中で籠もって書いているので、今まで僕に蓄積されてきたイメージや感覚を
総動員して、その情景の中に身を置いてみて、感じたことを何とか言葉に定着させるように苦心しつつ書きました。
俳句って本当、表面的な想像では書けませんね。
こんなに短いのに、実感が伴わないと、言葉がまるで出てきません。
個人的には、小説の情景描写を書くときの意識にとても近かったです。
俳句に詳しい方には、「小説と俳句は違うものです」と、もしかしたら言われるのかもしれませんが、
僕には「句作は小説を書くトレーニングにもなるぞ」という下心も実はかなりあります。
お褒めの言葉、本当に有り難いです。音楽を感じて頂けたなら、すごく嬉しいですね。
詩作などに活かせているかは分からないのですが、
僕の今までの実体験の半分以上は音楽と、音楽を聴きながら見た景色で出来ているんじゃないかと、少し格好付けて思っています。
ジェフ・バックリーは僕の人生から外せないくらい大好きです。
聴いていていつも泣きたくなります。恋愛中は電車の中で号泣しながら聴いていました。
特に『So Real』という曲は、タイトルの通り、おそらく誰の心の中にもある、
とてつもなくリアルで激しく揺れ動く心が、そのまま歌われていると感じます。
『Alligator Wine』の笑ってしまうくらいの歌唱力と遊び心も大好きですし、
『Forget Her』のジェフを心配したくなるほどの悲しみにはいつも打たれます。
あとは『Kanga-Roo』の、バンドを置いてけぼりにしたみたいな、躁っぽくて協調性のないジェフのギターにも笑ってしまいます。
『Hallelujah』でジェフ・バックリーを知って、そのテレキャスター一本での弾き語りに惹かれて、
僕もテレキャスターを買ったようなものなので、無論『Hallelujah』は僕も弾けます。
(一応『So Real』と『Mojo Pin』と『Grace』のギターもすごく練習したので、
少しだけ弾けます。
『Lover, You Sould've Come Over』のギターは意外にも難しくて、練習中です。
『Lilac Wine』はコード弾きなので、弾き語りでよく歌ってます。)
ただ、どうしてもジェフの音にはならないのですが。
あと、あまり人気が無いのかもしれませんが、二枚目のアルバムを、もしかしたら『Grace』以上によく聴いていて、
『Nightmares by the Sea』は僕の音楽の好みにぴたりと嵌まりますし(少しレディオヘッドに似てると思います)、
『Gunshot Glitter』のラストで繰り返し歌われる‘Paranoia, Polititian, Diva’の部分が何故かやたらと好きで、
ときどき何の脈絡も無くぶつぶつと真似して歌ってます。(ちょっと語りすぎですね。)
もちろんジェフのライブ盤も好きで、やっぱり『Hallelujah』の独奏にはいつも息が詰まります。
日本のライブでは『Hallelujah』の繊細で静かな演奏中みんなしーんとしていて、
歌い終わった後、拍手が鳴る中で、ジェフが控えめに「サヨナラ」と言うのが、
ものすごく悲しいです。
ニック・ドレイクの歌とギターは、好きという以上に、ニックがいなかったら、僕はずーっと前に死んでたと思います。
いつも心の中心にニックがいる感じです。死ぬときにはニックを流すことにしています。
昔から、しつこいくらいニック・ドレイクが好きと書いたり、人に言ったりしているのですが、
なかなか聴いてくれる人がいないのは、僕の言い方がまずいのか、とたまに思います。
あんまり好き過ぎると、ここがいい、とかお勧めの曲はこれ、とか言えないですね。
(現代詩手帖にニック・ドレイクの名前を載せて頂いたことは、数少ない僕の自慢です。)
なので、森田さんがニック・ドレイクを聴いてくださっていることは、
僕自身が誰かに認められるよりも、もっとずっと特別なことで、とても嬉しいです。
しばしば僕はコメントへの返信を長く書いてしまうのですが、
今回は特に語りすぎてしまいました。
俳句を勧めてくださったこと、感謝しています。
句作は僕にはとてもハードなので、すぐにまた書けるかは分からないのですが、
俳句に、今までよりずっと興味が湧きました。
僕の、多分に乱暴でふてくされた言葉で書かれた、死にたがりの散文に、
温かいコメントをありがとうございました。
おかげで、少し元気が出てきました。
森田さんも、どうかお元気で。
>アラガイsさん
ありがとうございます。
僕はまだまだ歳を重ねていないので、実感としては分からないのですが、
歳を取るごとに、死んだらもう二度と見られない景色、をより深く感じられるものなのではないでしょうか。
生きていなければ出会えない瞬間だけで、世界は成り立っています。
おそらく眼の前のものを「綺麗だ」ではなく「懐かしい」と感じるようになる、
その心の変わり目が心の老いの始まりなのではないでしょうか。
眼の前のものを過去と照らし合わせて感じる、あるいは慣れてしまう、
それは心が衰えることだと思います。若くても衰えている人はいると思います。
僕は自分を、老い衰えてしまった、と感じることが多いです。
理屈抜きで、ものをただ単純に美しいと感じることは、意識していないと難しいです。
すぐに「ふーん、あれと似てるね云々」と言って片付けてしまったりします。
自分がすごくどんよりした目をしているのを感じます……
なので全然人のことは言えないのですが、肉体の老いと心の老いは、やはり別だと思います。
ありがちな綺麗事のようでもあるのですが。
それに、あまりうまく書けないのですが、爺さんや婆さんもいいものだなと思います。
偏屈で人間嫌いの老人になって、最後は孤立して気が狂って、苦しみ抜いて死ぬのも全然悪くないです。
実は今、僕はこれを書きながら、また苦しさと不安を感じていて、
死ねたらどんなにいいだろう、と思っているのですが、
何はともあれ生きている人や、生き延びた方たちには、
敬意と、何か輝かしいものを感じます。
生きているだけでいいじゃないか、とみんなが思えたら素晴らしいですよね。
話を膨らませすぎて、かなりずれたことを書いている気がするのですが、
みんながお互いを非難したり否定し合うのではなく、
「あなたが生きてるだけで、それは素晴らしいことだ」と思い合えて、
自分に対してもそう思えたなら、世界はものすごくいい場所になると思います。
歳を取ろうが、引き籠もっていようが、反社会的な犯罪者だろうが、それでもいいんだ、と本気で思い合えたなら。
もちろん、あからさまに駄目な行動はありますが、その場合は、駄目な行動だけを駄目だ、
と言えばいいだけであって、駄目な行動に至った人のことは、寧ろ尊重する方がいいと思います。
人に対してまで、価値があるとか無いとか、そんな目線でしか語れないような社会は寂しいですよね。
僕は人を軽蔑しがちなので、意識して「人は生きているだけでいいんだ」と自分に言い聞かせていて、
誰に対しても「あなたが生きているだけで嬉しい」と伝えたいと思っています。
(僕は多分、根っこの部分で性格が悪いので、うまく行っていないのですが。
中也は「向上するのは性格ではない、道徳だ。」と書いていて、
僕は自分を変えるのは無理でも、倫理観を磨くのはとても大事だと思っています。)
全然関係の無いことばかり書いていて申し訳ないのですが、
アラガイsさんが少しでも、ご自分のことをネガティブに思われているならば、
それは悲しいな、と思ったのです。
お互いに、人生はまだまだ長いと思います。
アラガイsさんのコメントに励まされることが、僕はとても多いです。
出来れば楽しく生きていきましょう。