詩は表現ではない/室町 礼
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 足立らどみ 
- アラガイs 

今まで、それも長い時間ですよね。ときには荒々しくときには愉快にもやりとりしてきて、しかし、もう、あなたという人間性その異常性質がわからないままに心底理解できたと観念して、ホントホント最後にしますが、これ、ご自身のことそのまま書いてらっしゃいますね。私のコメントのどこに悪意を認められてそのことがストーカーだとおっしゃるのか、いままでの経緯を考えれば私にはまったく理解できない。これまであなたの作品には忌憚なく意見をさせてもらってもきたしイイね。の評価もしてきた。そう、あなたの詩書きとしての才を認めているからです。それが、それが突然おかしくなったのは何故でしょう? あのオバマゲイや夫人の男疑惑のことでしょうか?それとも私のBレビ参入でしょうか?まったく理解できないのだが、そこまで本人のわからないままに毛嫌いされるのなら、ああ、いいですよ。これまでの事は無かった。何も無かった事にしましょう。そのほうが私も納得できる。では、訳のわからないままに毛嫌いされた男から、さよならをと告げてこれで最後にしますよ。どうも、いままでの長いお付き合いお相手をありがとう。ではお元気でサヨウナラ。


- 鏡文志 
泉のほとりで初めて自分の顔を見た人類が、そこに自分の顔を見てナルシズムだけでなく、自覚を持ったんじゃないかなあ。
誰のためにとか、なんのためにとか、先ず自分のためにかも知れないし、詩人と鑑賞者と分けて考える考え方も、鑑賞者はいつか表現者に変わるかも知れないし、目指すか目指さないか? 上手いか? 上手くないか? の違いでそれが選ばれるか選ばれないかの違いはあるけれど、そこまで選ばれた芸術家云々という考え方も厳密ではない気がします。
自覚するとか、自覚というのは表現者の一つのキーワードだと思ってます。視野がどれだけ広く見えているか? 多くの物事に対し、自覚があるか?  覚醒という言葉は少し抵抗がある。他人は一つの鏡でもあるわけだし、でも自分の顔を自分で直接見るという体験は人間を変えたと思ってるんですけど。
言葉より先に表現。言葉も一つの表現。考えていることに共感しました。
しかし、言葉は表現という全体の中の一部であって、その一部は全体を超えることはあり得るか? それはAI的な頭でっかちの身体性無視という在り方で超えるのか? また、超えるということに関しても、ハイクオリティハイレベルという考え方をどこまで表現において突き詰めるべきか? そこに表現の本質はあるだろうか? など、色々考えさせれれますね。
- 森田拓也 
表現の初めは、まずは
自分自身に対してだった、
というお考え、共感します。
たぶん、そうだったろうと
僕も思います。
ロマンティックな素敵な
意見、お考えですね。
- atsuchan69 
-  
- ひだかたけし 
〉わたしは詩人ってとても倫理的な
優しい人たちばかりだという思い込みがありましてね。
ところが蓋を開けてみると、お茶、お華、書道、絵画などの
交流サイトと違って、めちゃくちゃ卑劣な人がいる。
そんなことがどうして人様の投稿に書けるのかという人が。


や、詩人と名乗る人の多くは、
(僕の経験体験上)エゴイスト ですよ、
自らのエゴイズム自己中心性を
自覚意識対象化していない
手に負えないエゴイストばかりです。
 
作者より:
- 足立らどみさま
お読み下さりありがとうございます。
 
- 鏡文志さま
感想コメントありがとうございます。
わたしは詩人ってとても倫理的な
優しい人たちばかりだという思い込みがありましてね。
ところが蓋を開けてみると、お茶、お華、書道、絵画などの
交流サイトと違って、めちゃくちゃ卑劣な人がいる。
そんなことがどうして人様の投稿に書けるのかという人が。
たとえば「貧乏臭い詩を書くな」(アラガイs氏)とか。
「つまらない」とか「詩になってない」ならいいのです。
じゃがいも一個についての詩的な空想がなぜ「貧乏くさい」のか
まったく詩の批評になっていない。ただの罵倒です。
こんなことは他の表現領域のサイトではありえない。
そこで詩人てのは何かおかしいと思ったのです。
たくみな表現をすれば称賛される。それがいかほどのものかと。
いくら表現が上手くても、もし人間的にクズが集まるようなことでは
世間から見放されるのもあたりまえじゃないかと。
そこで詩というのは表現がすべてではなく、そこに何か
もう一つなければ詩ではないと思い至りました。

---2024/11/04 03:58追記---

- atsuchan69さま
こような拙文をお読み下さるとは、ありがとうござます。 

- 海さま
お目をとめて下さりありがとうございます。
 
- ひだかたけしさま
お読み下さりありがとうございます。
 
や、詩人と名乗る人の多くは、
(僕の経験体験上)エゴイスト ですよ、
自らのエゴイズム自己中心性を
自覚意識対象化していない
手に負えないエゴイストばかりです。

エゴイストでナルシストであることは
そのことに自覚的である限りそれほど問題じゃ
ないような気がします。むしろ文学には必要かと。
もともと昔は祭祀を取り仕切った一種の精神異常者が
文学者の前身ですから。わたしもふくめみなおかしい
のでしょうね。そのことに自覚的であってほしいものです。

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