詩を書くこころ/岡部淳太郎
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- レタス 
詩を書くのはマスターベーションのように思います。
詩を書く事が変なこととおっしゃるのもそういう事ではないでしょうか…
- こしごえ 
- アラガイs 

ごめんなさいね。先ずはじめに誤っておきます。たまたま運悪くサイトを開いてこれを見た私とのタイミングが悪かった。と諦めてほしい。そして怒りをぶつけられてもいいし、全否定をされてもかまわない。詩を書くこころ。こんな嘘で塗りつぶされるような詩を私は認めない(この詩にはあてはまらない。訂正し取り消しておきます)。何故ならば、こころから祈りを捧げます。とかこころからお幸せを祈っています。なんて言うのはご挨拶に過ぎないからです。何を言うか!こころから私はそう思って書いているんだよ。わかります。そう思われるこころに嘘はないのでしょう。それが作者本人(語り手)の気持ちであることを。しかしですよ。こころ、なんてあなたはわかりますか?私はわからない。見ることのできない(こころ)なんて神様と同じで何処を向いておられるのかまったくわからない。ではあなたは無神論者か?と言われたらそうではないと応えたい。私も祈ることはあるしたまにはすがるからです。
しかし私は私自信のこころは信用していません。なのできっと神様も信用はしてくれないでしょう。
ですが、こころから祈るまたはこころから愛する。詩も歌もここを込めて作りなさい。歌いなさい。というのはあたりまえのことで、このことはあたまを使って言葉で書き込む以前の問題だと思います。なのでいくらこころを込めて美しく仕上げようとも、言葉でこころ(心)の表層だけを塗りつぶしてしまうような詩には共感できないのです。これが「詩を書くこころについて」などという論説文に置かれてあるのならば、また話しは変わります。
よく拝見するお名前なのでかなりベテランの方でしょうが、そのようなつもりで書き込んだのではない。ということも承知のうえで、このようにわざわざケチを付けるように出しゃばる無礼な言及をお許し願いたい。失礼いたしました。


追記
いま読み返してみれば、どうやらわたしは「こころ」という言葉に執着し過ぎていたようです。その時言葉遊びとして詩をこころから愉しむ事を忘れていた。こころがわからない。詩のこころが何処を向いて行くのかわからないので、わたしはこうして取り上げたのだ。べつにこころから書くだの意識するだのと書いたつもりではない。そのことを表層だの内面からだのと大仰に取り上げて何を言ってるんだアラガイさん。あんたこそ詩読みに対して意固地だよ。
などと反論されてしまえば返す言葉はない。ここに書き置かれた文字などは一塊の図柄のように美しいものがあり、ユニークな言葉使いとして愉しめば作者様の美的感覚も素晴らしい。自分を置いといてついできあい物のお弁当感覚な言葉遊びで読んでしまうと血が嵩ぶってしまいます。。反省します。撤回して消してもいいのですが、これは阿呆な読み手の拡大解釈、底読みだということで置いておきます。笑って済ませていただきたい。真に失礼をいたしました。 敬具

---2024/02/16 01:06追記---

---2024/02/16 01:10追記---
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