小さな庭/田中修子
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 石村 
- 白島真 
- ただのみきや 
- うみ 
- 梅昆布茶 
- アラガイs 

五月十日は母の日ですね。
- 乾 加津也 
詩と随筆と小説の
良い意味でのカオスのような感覚を持ちました
出品までとてもよく練られたと思います

もしこれ以上成熟してしまうと、この
芽吹きの感動が失われてしまう
この成長点がいま美しい、と思いました

黄色い傘が目に焼き付きます
- トビラ 
おはよう、田中さん。
正直に言うと、ポイントを入れてコメントをするかどうか迷いました。
まあ、ポイントを入れずにコメントをして変に角を立ててもと思い、ポイントを入れました。
というのは、作品としての出来みたいなのはいいと思うんですけど、この作品は田中さんの本当に書きたいものなのかな?という疑問を感じたからです。
今になって思うのですが、僕は、もう売れるとか認められなきゃとか、そういう縛りみたいなのは自分に対してまったく課してないので、けっこう自由に好きなことを書いています。
そして、好きなことを書く。
それ自体が喜びになってます。
今は、書くための「修行」みたいなのは何もしてなくて、本もほとんど読んでないですしね。
自分の好きなことを好きなように書いています。
推敲しないというわけではないですが。
田中さんは、少し「出来」みたいなのにとらわれ過ぎているような印象。
「出来」にこだわるのは、他人の評価を得たいからだと思います。
僕もそういうのにこだわった時期もありましたけど、人の評価は移ろいやすいものです。
そういう意味では、この作品の出来みたいものには、ポイントを入れてもいいと思いました。
ただ、うーん、田中さんの書きたいことってこれなのかな?という疑問としては、ポイントを入れるか迷いましたよ。

田中さんは、なんのために書いているんだろ?
書いたものを人に認められるため?
書いたものでお金を稼ぐため?
書いたもので、人に認められてお金を稼ぐためなら、読者の望むものを書かなきゃだと思うな。
そこに田中さん自身の屈託みたいなのは、必要ないんじゃないかな?
少なくても、読者が読みたいと思う屈託以外は。
まあ、僕はもうそういうコースからは外れて、人にどうこうじゃなて、自分の書きたいものを書くことにしています。
それでいいなって、そっちの方が楽しいなって、今は思います。
僕は書くことで、お金も、〜〜賞みたいなものも一切いらないですね。
そういうのは、いいやって、今は思います。
少なくても、今の経済システムの中で、書くことを生業にしても、僕は不幸にしかならないという確信を得たので。
まあ、好きなように書いていきますよ。

あと、僕の詩の朗読とかは全然してもらってかまわないですよ。
ツイキャスもどうしても時間の制約があるので全部は聞けないですけど、いくつかは聞いているのです。
一日24時間だと短すぎて、その5倍はほしいですね。
 
作者より:
石村さん、白島 真さん、ただのみきやさん、うみさん、梅昆布茶さん、目を通していただきコメントまでありがとうございます。 
アラガイsさん、コメントありがとうございます。「五月十日は母の日ですね。」驚きました。そうでした。
自分で書いていて読み直して、
>あのひとはやみに閉ざされていたころの
>北極星
>もう去った
>気配だけが

この「あのひと」は誰なんだろうって思っていたのです。全体の流れも家族の話だし……もしかしたら私のなかで母なるものと何かがつながっていたのかな、と思います。

乾 加津也さん
お読みいただきコメントも
ありがとうございます。
私の詩の書き方はなんだかよくわからないのです。ほんとにいろんな要素が混ざってるのかもしれません。ただ文章を読んだり書いたりするのが好きでずーっときました。このごろは少しでも若いころの筆力を取り戻したくて何回か原稿用紙に書きながらやっているので、練っているように読んでいただけるのかもしれません。
私はどこまでも子どものようなところがあるので成熟できることがあるでしょうか。それはそれで人として生きていくうえで幸福なのかもしれません。いまの私のこころに目をとめていただきとても嬉しいです。
---2020/05/17 09:57追記---
ネンさん、お読みくださりポイントもありがとうございます。

トビラさん、たくさんの時間を割いて考えてくださりありがとうございます。
トビラさんの質問に私なりにお答えします。
>田中さんの本当に書きたいものなのかな?という疑問を感じた

こと現代詩フォーラムにおいて、私は書きたいものしか書いていません。
ブンゴクとビーレビにおいては違いましたね。ただ、長文を書いていたころの勘を取り戻す訓練にはなりました。

>田中さんは、少し「出来」みたいなのにとらわれ過ぎているような印象。

う~ん、10年ほど前、小説に関してはとらわれすぎていたかもしれません。でも、もう、とらわれていないと思う。
いまは、表現に関するものは、何事もとらわれていてはなにも自分らしいものは作れないという答えに達しました。私のような凡人にとっては、とらわれなくなるのは、基礎を正確にできるようになってからですが。

>あと、僕の詩の朗読とかは全然してもらってかまわないですよ。

ありがとう。うまく読めなかったけど、楽しかった。


詩で有名になったりお金持になったりすることはないのは、20代にはわかっていましたし、このところそれがより明確になっただけかな、私は。
でも、魂が近いと思う詩人さんとの出会いは、とっても実りがありますよ。私は、詩人がわらわら楽しく集まる場所というのにはなにやらゾッとして行けないのだけれど、個人的に親しくなって交流を重ねたりするのは、すっごく実りになった。トビラさんにもそういう出会いがありますように。
ほんとうに、時間と体ががいっぱいあったらいいですよね。

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