Pips/藤山 誠
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

瞬間との出合い。詩とはそのよろめき。快楽ですね 。読んで救われた。などと思うのもほんの束の間です。投げられた賽子の意味。。点在を予感するのはいつも絶望。だから詩はこうして希求を止めないのです。

- こひもともひこ 
- 深水遊脚 
 
作者より:
アラガイ様
コメントありがとうございます。

出会いについて。
人も詩も出会いは縁で、運で、いろいろなものが重なって、出会います。
まぁ全てがそうだと言えばそうなんですが。
その中でいろいろとやっていくしかないようです。

サイコロはいつのまにか投げられてて、
どうせ私達は出た目だけを教えられてそれでやってくれと言われるだけです。
転がって出たサイコロの目だけで、配られたカードだけで、今手元にある手駒だけで、
なんとかやっていくしかないので、いつでも息切れしています。
これまでもずっとそう、これからもずっとそう。
鬼が来るのを知っていながら賽の河原で石を積み上げるしかないのです。

壊されるために積み上げることも、サイコロと賽の河原をかけたダジャレも
私はどちらも好きです。

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