赤い月はノクターンを奏でる/そらの珊瑚
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- Lucy 
同感です。泣けてきました。
- まーつん 
美しさを恥じるのは謙虚さとは違うかな、と最近よく思います。
有りのままでいいのかな、と。
それを見た人が、どう受け取るかは、受け取る側の問題でしかない、と。
- 北大路京介 
- りゅうのあくび 
巧言令色、鮮なし仁と言う故事を思い出したところです。
しかし、詩は作品ですから、美しくあるのが、
当然だろうと思います。また、物事は
綺麗事でしか通用しないというのが
社会の厳しさです。そこを風刺していていい詩だと思います。
- 泡沫恋歌 
詩は絵画のように美しい言葉で塗り込めていっても良いと思う。
汚い言葉や気持ちの悪い言葉で表現する人も、それはその人の個性だから悪くない。
ただ、自分は美しい言葉により、心が揺り動かされるのです。
- ただのみきや 
ほとんど同じように感じてます。うつくしさに。
- 鵜飼千代子 
- 殿上 童 
- 島中 充 
このうまさで現代詩のファンをたくさん作ってください。虫歯にしびれました。
---2014/10/11 00:18追記---
- 芦沢 恵 
- 水素 
- 梅昆布茶 
とてもいいです。
- るるりら 
- 夏美かをる 
色々ありまして・・・美しくない心で一日を過ごしてしまうこともあるのですが、夜寝る前には、せめてやすらかな朝を迎えるためにも、珊瑚さんの詩のような美しい言葉で自分を満たしたいと思います。
- 陽向 
けれどあえて美しくない言葉を聴きたいとは思わない、すごいなと思いました。
- 草野大悟2 
ま、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
- beebee 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- アラガイs

汚ないものが多すぎますからね。利己的にはできるだけ美しくないものは見たくもない。せめて言葉だけでも心地よいものを聴きたい。まったく同感ですが、美しくない言葉ってなんだろう? って考えてみますれば、言葉自体は表記の手段に過ぎないので、これは書き手による作り方の問題でしょう。詩は直接音の関与しない言葉の羅列です。それを補うために詩人は文字を読みながら音を意識する。できるだけ耳に心地よく響かせるわけです。この聴けない音を敢えてリズムやメロディーに喩えてみるならば、音楽は様々な形態で我々の耳を楽しませてくれます。そう考えてみえば美しくない音楽ってなんだろう? とか音の壁に行き着いてしまいます。その昔ビートルズの音楽はうるさいとか言われた時期が在った事を記憶しています。聴く耳により人それぞれでしょうが、確かにロックはうるさい音楽でしょう。耳障りにはけっしてよくありません。でも我々の気分を高揚させるし何よりも愉しめる。時として再び感動したりもできます。しかし病気で寝込んでいるときにはまず聴きたくはない。うるさいから。でもこれは流れてくる音がうるさいだけで、何も歌詞に書かれた言葉自体が耳に心地よくない訳ではない(特に英語は解りません)。直接音を省けば感動する歌詞だって探せばいくらでもあるはずです。凡ての芸術同様に他を意識すれども詩は特に自己のための表現方法です。故に美しさの対象は自ずと自我へ導かれる。たとえ内容が過激な思想や汚物に嫌悪する罵りの、その苦しみから嘔吐された愚痴に置かれていたとしても。それは凡て自己撞着へ向けられた本質的な負荷へと創作は至らなければならない。読んで感動するとはそのようにけっして耳障りがよいだけの言葉の羅列ではない、とも理解致しております。

※追記しました。



 
作者より:
わっなんか予想外の反響の多さにびっくりです。
お読みくださった方、コメントくださった方、ありがとうございました。

プレセペM44さん、嬉しいお言葉、感謝します。

心にも無い言葉は言えないさん、「真っ暗森の歌」谷山浩子さんですか?彼女の歌はどれも大好きでした♪
月の色も変わるし、それによって受ける自分のイメージも変わりました。
私も昔は赤い月は不吉なイメージを感じましたが、今は変わってます。


まーつんさん、おっしゃるとおりだと思います。美しくてなにが悪い! とか言ってみたり。(逆に汚くて何が悪い!もありです)人はひとりひとり違うように、感性がまた違って当たり前ですもの。有りのまま表現する、プラス人の心へ届くための言葉を修練していければと思います。 

竜野息吹さん  巧言令色、鮮なし仁、ですか。教えていただいて勉強になりました。
風刺のつもりはなく書いたものでしたが、そう読むことも出来るのですね。詩は誰かに読んでもらったときから、好む好まざるは別として、批評というものが発生する覚悟を作り手として持っていたいと思います。

泡沫恋歌さん、芸術に正しい表現方法などないし、だから芸術なんだと思います。どんな言葉を使おうとそれを非難するつもりはないです。要は好きか、嫌いか、そんな単純なことでいいのかと思ったりします。たとえば私は好きな詩集は枕に一番近いところに置いておきたい思ってます。

ただのみきやさん、共感していただき、嬉しかったです。

アラガイさん、子どもはある時期、一般的に美しくない言葉を連発して喜んでたりします。インパクトを楽しむ季節なんでしょう。まーつんさんのコメントにあるように、受けて側の事情で、チョイスしたいものは変わるのだと思います。

>凡ての芸術同様に他を意識すれども詩は特に自己のための表現方法です。故に美しさの対象は自ずと自我へ導かれる。たとえ内容が過激な思想や汚物に嫌悪する罵りの、その苦しみから嘔吐された愚痴に置かれていたとしても。それは凡て自己撞着へ向けられた本質的な負荷へと創作は至らなければならない。読んで感動するとはそのようにけっして耳障りがよいだけの言葉の羅列ではない、とも理解致しております。


上記部分は極めてなるほど!と思ったので、引用させていただきました。
おっしゃるとおり、感動は「美しい言葉」そうではない言葉とはまた別の次元であると思いますし、一般的に「美しくない言葉」と思われるものを否定するつもりはまったくありません。どのようなものに感動するかも人それぞれでいいのだと思っています。

ちんすこうりなさん、混乱させてしまったのは、作者の技量不足として反省あるのみです。
美しい言葉の解釈は人それぞれでいいのかと思ってます。
最終連の「美しさ」は美しい言葉を含めて美しさ、と表したつもりです。
悲しみのある言葉もひっくるめて(そこへたどりつくことは簡単ではないという共通項を意識すれば)私は美しい言葉だと思っています。

>言葉の力とはその程度でその程度なんかではないと思った。

私もそう思います。けれど「その程度なんかではない」ほうを信じたいです。



---2014/10/10 23:34追記---

---2014/10/10 23:35追記---

---2014/10/10 23:36追記---

---2014/10/10 23:44追記---

---2014/10/10 23:46追記---

---2014/10/10 23:47追記---

---2014/10/10 23:54追記---

---2014/10/11 00:06追記---

---2014/10/11 00:10追記---

---2014/10/11 14:10追記---
島中充さん 島中さんに「このうまさ」でとおっしゃっていただくと、褒め殺しされているんだろうかとふぐの毒にあったように、しびれます(冗談です)しびれていただいて光栄です。

梅昆布茶さん そう思っていただけたら嬉しいです。

夏美かをるさん だって人間だもん、美しさなんか程遠く過ごしてしまう日だってあって当然! 夜寝る前には、私もせめて交感神経を休ませてあげたいとそんな日は特に思います。 そのお手伝いのようなものが出来たとしたらこんな嬉しいことはありません。
---2014/10/11 14:19追記---

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