ホーム/Lucy
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 未有花 
- そらの珊瑚 
何かを暗喩している詩だと思うけれど、それが読者に委ねられている気がします。とても怖い詩で、同時に社会批判のようなものも感じられました。
快速電車が選ばれた人のためだけの何かで。(富であったり、才能であったり、文明であったり、幸運であるかもしれません)つまりそのホームを選んだ人にはそれに乗れる権利はない。それでもホームで待ち続けなければいけないのでしょうか。と思ってしまいました。
---2013/09/30 20:56追記---
- イナエ 
- ただのみきや 
前半のリアルな描写で現実のホームを見ていたのですが・・・
気が付いたら立っている、心のホームでしょうか
- 芦沢 恵 
こんばんは。駅のホームに立ちますと「終着駅」というジェニファー・ジョーンズの映画を思い出します。駅は切ない風が時折吹きますね。
- 鵜飼千代子 
お座敷列車が、運行途中で突如中断となり、知らない駅に置き去られた乗客の感慨のようです。

お座敷列車は特別区だったのですね。
- 壮佑 
- るるりら 
- 泡沫恋歌 
鬼気迫るような電車の通過が
サスペンスのような恐怖を感じさせる。

すごい!
- 梅昆布茶 
- 夏美かをる 
4連目までは、まるでのどかな田舎の駅の風景のようだったのに、5連目で電車が飛び込んでくると共に、がらりと雰囲気が変わって、“殺気”“轟音””猛進”“危険”“死”という、ものものしい一連の言葉が並び、読者を圧倒します。松岡さんの詩にはこのような驚きを伴うものが多いですね。予想もつかない展開も、松岡さんの詩の醍醐味です。それでいて、いつもちゃんと〆は〆でうまく抑えているので、尻切れトンボ的なオチにならないのも、松岡さんの才能がある故ですね。この詩を読んで、“快速電車になんか、乗るか!”と思いました。あんなに早く進んだら、きっと見るべきものを色々見逃していると思います。
- 北大路京介 
- 石田とわ 
電車は線路のうえしか走らないし、わたしはのんびり
歩いていこうと思いました。
- りゅうのあくび 
- 瑠依 
- アリスタ 
- nonya 
プラットホームってなんとなく詩を書かせてしまう場所ですよね。良かったです☆
- 平瀬たかのり 
 
作者より:
自分の詩に解説を書くなどナンセンスと思いつつ・・この文章の後ろにくっつけてしまいました。説明を加えたくなるということは、詩で伝えきれていないという思いが残るからでしょうね。

読んでくださった皆様に心よりお礼申し上げます。

藤桜さま、貴重なポイントをありがとうございます。
未有花さま、貴重なポイントをありがとうございます。 

そらの珊瑚さま、鋭く深い読みをありがとうございます。そこまで読みとっていただけたらとても幸せです。感謝いたします。 
---2013/09/30 20:56追記---

笹峰霧子さま、貴重なポイントをありがとうございます。 
イナエさま、 貴重なポイントをありがとうございます。

ただのみきやさま、丁寧なご感想をありがとうございます。心から感謝いたします。 

芦沢 恵さま、こんばんは。暖かいコメントありがとうございます。 

鵜飼千代子さま、貴重なポイントとコメントをありがとうございます。 

Astraさま、貴重なポイントをありがとうございます。
るるりらさま、 貴重なポイントをありがとうございます。
海馬どっとこむさま、貴重なポイントをありがとうございます。 

泡沫恋歌さま、丁寧なあたたかいご感想をありがとうございます。 

梅昆布茶さま、貴重なポイントをありがとうございます。
-
夏美かをるさま、丁寧な読解、深い分析、それに過分なるおほめのお言葉、痛み入ります。暖かいコメントを本当にありがとうございます。快速電車になんかのるもんか!と私も思ったので、今日はちょっと遠出をしたのですが、早起きをして普通列車を乗り継ぎ、ゆったり旅してみました。(^_-) 

北大路京介さま、貴重なポイントをありがとうございます。 

十六夜KOKOさま、素敵なご感想ありがとうございます。 

竜野息吹さま、貴重なポイントをありがとうございます。 
瑠依さま、貴重なポイントをありがとうございます。 
アリスタさま、貴重なポイントをありがとうございます。 
田中太郎さま、貴重なポイントをありがとうございます。 

nonyaさま、あたたかいコメントをありがとうございます。 

逢坂たかのりさま、貴重なポイントをありがとうございます。


以下は作者自らの作品解説(お忙しい方はどうかスルーしてください)

乗り換えのために、小さな駅のホームに立っていると、ひっきりなしに通過する電車が多いことに気がつく。ホームは雨水をためないために、線路に向かってわずかに傾斜して作られていると聞いたことがありますが、目眩持ちの私はこの傾斜がとても怖い。
もともと駅のホームというものは、停車する列車のために作られていて、高速で通過させることを想定して作られたものではないと思う。
各駅停車が当たり前だった時代と、ホーム自体の形態は全く変わっていないのに、一分でも一秒でも電車を速く目的地に到着させるために、「駅をとばす」ということが平気で行われるようになったのだ。
どんな小さな村や町にも、平等に線路が敷かれ、駅が造られだ時代は遥か昔のことだ。ローカル線で、無人駅が増え、やがて線路自体が廃止に追い込まれた歴史を、長年田舎に住んで見てきたが、都市部にあっても、効率化という名の差別化は着々と進められてきたのだなあ…などということをしみじみと思いつつ・・・。

昔は確か、「一番線に列車が到着します。白線の内側までお下がりください。」とアナウンスしていたものだと思う。
通過する電車に対しては、「白線の内側」なんて、安全圏でも何でもない。
一歩よろめいたらたちまち電車に引きこまれてしまう危険な距離である、柵も何もない至近距離を当然のごとく走り抜けていく快速列車を改めて、異様だと思ってみる。
そして現代社会において、このようなことは駅に限った光景ではないのではないかと思えてくるのです。
日本という国の制度自体が選ばれた一部の駅の人々しか乗せない快速電車になってしまっているのではないかと・・。
---2013/10/10 23:01追記---

訂正履歴:
6行目「取り残されている」→「取り残されてある」に修正しました13-10-1 9:55
「この国の主要な駅はいつからか・・」以下2行(後から書きくわえたもの)を削除しました。「私ら」の「ら」を削除しました。13-9-30 18:34

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