君に戦場で会ったなら/まーつん
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 元親 ミッド 
- 梅昆布茶 
ドアーズのアンノウンソルジャーという曲を思い出しました。
明確な主張を持った良い詩です。
- 芦沢 恵 
- 哭翁 
う—————ん、素敵だ!

人を殺しても命へ一切の悲しみを持たず、またそれが素晴らしいこととして寧ろ誇りに思うような軍人を鏡にする

他所で自国で幾ら正義を殺しても美しく、ふいに鏡を割れた時に泣きわめく様なくだらない殺人集団にはこの詩はわからない。
- 夏美かをる 
これは凄い!よくぞ書いて下さいました!
- ただのみきや 
- 殿上 童 
- HAL 
名作であり、秀作であり、傑作でありと
本当に強く深く打たれました。
いま世界は緊張のなかにあります。
どこかの馬鹿が、とても佳い詩なんですが
詠ませることのないよう願い祈っています。
- 北大路京介 
- そらの珊瑚 
- オキ 
- nonya 
- たま 
- しょだまさし 
 
作者より:
返信遅れてごめん。ちょっといろいろと考えることがあって、文末にまとめて書いてあります。
長文は読むのも大変なので、飛ばしてくれてもかまいません。いじけたり拗ねたりしません。
ポイント・コメントを頂いた方々に感謝します。
この手ごたえがあるから現フォはやめられないんだよね。


梅昆布茶 さん コメントありがとうございます

お褒めの言葉嬉しいです。ドアーズですか。聴いてみましたが、英語の歌詞の意味が分からない…f(..)。
読み返してみると、後半はやや文脈が不明瞭な部分もあって、梅さんの読解力がくみ取ってくれたんだなと思いつつ。

哭翁 さん コメントありがとうございます

惚れてもらえましたか(←うぬぼれんな)。どんなに高邁な理想を持っているつもりでも、
戦場に行けば所詮殺し屋の一人で、集団の動きに合わせるしかないのだろうかと。弱いよね。

夏美かをる さん コメントありがとうございます

惚れましたか。駆け落ちしましょう(←何をこいつは…)。まあ、実際に戦場に行った人たちが、
どんな葛藤を抱くかなんて、本人にしかわからない部分もあると思います。
人間の矛盾が極端な形できしみあうという意味で、戦場にはある種、暗い魅力があるのも事実です。

HAL さん コメントありがとうございます

身に余る賛辞です。HALさんの実体験を読ませていただいたうえで、この評価を受けると、恐縮してしまいますね。
僕は安全な場所であれこれと思いを巡らせているだけですからね。
実際に争いの現場に飛んでいき、自分の中の葛藤に答えを見つけようとする行動力には脱帽するほかありません。
HALさんは、これからも長く作品を読ませてもらいたい書き手です。

中之島公園力 さん コメントありがとうございます

退廃から生まれた悦楽の甘い味を象徴させる言葉として、
僕はよく蜜を使います。
戦死者の屍の上に築かれる平和を、退廃と呼ぶのは不遜かもしれませんが。
蜜という単語は、言葉の選択としては月並みですけど、
原因となる土壌から、導かれる展開が茎となって伸び、枝となって広がり、
何らかの結末が花開くという形で、わりと手軽に暗示を含ませることができるわけです。(←まあ偉そうに なんだろねこの先生は!)






以前、しばらくの間、食堂の調理補助として働いていた。
そこは、様々な研修で日本にやってきた外国人たちが宿泊する施設で、
毎日、朝、昼、晩と、年齢も国籍も雑多な人々が食事にやってくる。
企業の管理職や社員といった人たちは少数で、その多くは、
まだ社会に出る前にスキルや知識を身に着けようとやってきた、若者たちだった。
彼らの勉強の内容は主に福祉関係。白人は少なく、主に有色人種…アラブ系、中国系、
タイやマレーシア、インドネシアといった方面からやってきた人たちも多くいた。
コックたちは、香辛料の効いたエスニックな料理や、本場インドの味を再現しようと苦心した各種のカレー、チャパティなどと、
日本食の両方を用意して、彼らにふるさとと旅先の味の両方を味わってもらおうとしていた。
店長は、客と店員の間にありがちな、よそよそしい雰囲気を嫌い、よく彼らに話しかけ、様々な悩みを聞いたようだった。
僕は配ぜんや洗い場の食器受け口などで(その店はセルフ・サービスだったので)彼らと顔を合わせるたびに、笑顔を向けるようにしていた。
取り立てて対話がうまいほうではない僕にとって、微笑みは唯一の武器だったと思う。
まあ、接客の一環だったわけだけど、最初のうちは堅かった彼らの表情も、毎日顔を合わせ、声を掛け合っているうちにほぐれてきた。
「Chicken,Fish, Pork」と、自分でも笑いだしたくなるぐらいの片言英語で、
メインディッシュの材料を説明しながら微笑みかければ、微笑み返してきてくれた。

僕は海外旅行などしたこともなく、国籍の異なる人々と曲がりなりにも交流したのは初めてだったが…
夜、解放された食堂のテーブルに集まって、談笑したりギターを爪弾く彼らの姿は、和やかでほほえましかった。
僕も時々空いた椅子に座って、彼らに加わった。若い中国人たちも、生真面目で素直な印象を受けた。

その頃のことを思い出しながら、この詩を書いた。
あの子たちと、どこかの戦場で殺しあうようなことがあり得るなんて、考えるだに馬鹿らしくさえ思える。
言葉や文化を超えた人々の間で、戸惑いと躊躇の向こうから差しだされる交流の手。
あのささやかな実体験の中で、僕が垣間見たのは、そういう明るい可能性だった。
そこにあるのは、互いに知合い、理解し、絆を結びたいと願う若者の姿だった。
遠い異国にやってきたという心細さが、そうした衝動を彼らに促していたのかもしれない。
僕ら店の人間たちもそれを感じ取り、自分たちにできる形でこたえようとしたのかもしれない。
だが、歴史の転がり方次第では、そんなことも空しく思えるような血なまぐさい展開を見ることもあるのだろうか。
領土問題、過去の戦争の傷跡、核開発、貧困、抑圧する政府、思想教育…

人はいつか争わずに済むようになれるのだろうか。銃を手にするとき、私たちは何を見失うのだろうか。

---2013/02/23 10:12追記---

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