岩尾忍詩集『箱』小論/葉leaf
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
また読んでみたくなる岩尾節 。



- るか 
読みました。なかなか良く纏まっている文章じゃないかと思うんですが、少なくとも引用部分に関して申しますと、詩としての魅力を特に感じないんですよね。特に新しい認識という訳でもないですし、それで済んでしまうのなら、哲学関係の書物の解説書でも読んでいればいい訳で、哲学的に開示される論理に拮抗し、あるいは凌駕するような詩人独特の認識のひらめきを感じない。詩は論理をたんに受け取り易くするための手段ではないものと期待したいですね。また、私以前の何か無名の存在を指摘するにせよ、現実の生活のなかでは、私を引き受ける葛藤があり戦いがありますよね。必要だから私も人称もある訳で。単に本来的な無名性を指摘するだけでは、物足りない訳です。従って私の読後感としては、この詩人は読む必要が余りない、となります。
- 氷水蒸流 
岩尾さんの詩を読んでみたいと思いました。

- こしごえ 
-  
(毎回読んでいます。この批評文も何回か拝どくさせていただきました。自分の持ち合わせている意識/身体観と照らし合わせて細かいところでひっかかるところなどはありますが(たとえば、「左手を野菜の上に載せ、右手で包丁を握り野菜を切る。このとき、右手と左手は統御されていると言える。」二元論的含意を外したメルロ・ポンティの身体図式じゃないけど、この、野菜を包丁で切る、という一連の行為は〝意識的〝とゆーよりは〝意図的〝な行為だと思ったりとか、、ええと自転車をこいだりゲームのコントローラのパンチボタンを押したりするのは〝意図的〝行為ではあるけれど、習慣化、あるいは道具自体が身体感覚の延長としてシステマティックに組み込まれているから、ペダルを踏んだりボタンを押すたびごとに必ずしも意識や意思決定の必要がないのと似て、、とか、細かくてスイマセン。。)、そーいう引っ掛かりとかも含めて、じぶんの中で普段は考えないいろんなことを内観したり再考してみたりする機会になります。岩尾さんの詩も読んでみたいとおもったし、良い批評文だとおもいました。)
- N.K. 
- DNA 
 
作者より:
初出 狼19号
---2011/12/15 04:22追記---
なるほど、やはり批評は、対象を読者に読ませたくなるようなものでなければなりませんね。魅力を引き出せるような書き方ができればよかったと思います。

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