今、NHK教育で「ハイスクール・ウルフ」を観ながらこいつを書いている。なんであれほどのアホ・ドラマをNHK教育でやるのだろーと前は疑問に思ったこともあったが、今はわかるよーな気がするぞ。あれは、(非常にくだらない、かつ人生に不必要な)豊富な知識を必要とする、(オタクとかバカとかマニアとか言う)一部知的スノッブのための(少数民族保護区的)ドラマなのであった。実にNHK教育だぜ。あー、でもおおかたの予想とはちがって私はマートンがあんまり好きじゃない(同族嫌悪とも言う)。私は、あのドラマに出てくる狼男のトミーと吸血鬼とゾンビと宇宙人と、その他もろもろの化け物たちと、そしてなによりも、マートンという化け物(パカモノ)の存在を許している街のひとたちの優しさが好きよ。しかしそうこうしてるうちに「ハイスクール・ウルフ」も終わったし天皇杯サッカーも録画だからあえて観たくないし、観るTVねえよー。
と、そんなことはどうでもいい前フリで、今回はカテゴリについて書く。
そもそも私がカテゴライズを必要だと考えるようになったきっかけは、自分の本棚の整理整頓であった。半分自慢で半分は呆れてほしくて言うのだが、うちには数千冊を超える本がある。全部読んでるかって訊ねるのはやめてね。読んだはずだけれど、どーでもいいものの内容は忘れてる。本の総数すら把握していない。とりあえず私が高校三年生のとき四千冊あって、そのあと数えるのをやめた。同人誌と雑誌は抜きに数えて、ですよ。雑誌(詩の雑誌ではない)は、今現在週刊誌4誌月刊誌5誌季刊誌2誌とってて、しかも私は本を捨てるとゆーことを知らない(笑)。なので、その総数たるや恐るべし。真剣に床が抜けることを心配しなくてはならない。ほんとのはなし、私の実家の私の部屋は、本の置きすぎで床が傾ぎ、窓をきちんと閉めることができなくなっていた(私が結婚して家を出たとたん、両親は家を建て直しましたよ、こんちくしょう)。
で、図書館でもないごくふつーの家にそれほど本があると、いったいどういうことになるか。まず、物理的に本棚に入らない。うちは一軒家ではあるが豪邸ではないので、そうそうでっかい本棚は入れられないし、たーくさん本棚をそろえることもできない。しかたないから本を段ボールに入れて積むことになるのだが、その前に本の山を厳しく分別しなくてはならない。物置の段ボールに入るか、書斎の段ボールに入るか、本棚に入るか。どうでもいいものや、あちこちですぐ手に入るものは物置の段ボール行き(ごくごくまれに捨てる。たいていはいわゆるベストセラー本)。最新のもの、未分類のもの、役立つもの、好きなもの、資料は本棚。雑誌類、同人誌類、珍しもの、今は要らないもの、後で高く売るつもりなので今は日焼けしないようにしておくものは書斎の段ボール行き。つまり、書斎の段ボールに入ってるものは、ある意味、本棚の本より価値が高いのである。それは文字通りアーカイブ、大切にしまってあるものなのだとも言える。
もちろん、あとあと取り出すときのことを考えて整理整頓分類して入れて、段ボールの側面には「創元推理文庫・SF・翻訳物」とか「岩波新書・科学」とか「雑誌・SFA・80年代」とかなんとか、カテゴリを書いておかねばならない。でないとわけがわかんなくなってしまう。そうしておくのはえらい手間暇がかかることで今私の書斎はかなりどーしよーもない状況で誰か便利屋を雇って片づけなくてはいけないくらいなのだが、それはさておくとして、とにかく私はかような理由でカテゴライズの重要性を身に沁みて覚えた、のであった。
今さら言う必要もないけど私はオタクで、コレクターだ(女にコレクターは少ないというが最近はそうでもなかろう)。そして、コレクターというものは、ほぼ例外なく、カテゴライズの鬼である。自分の勝手な価値観では価値の高い何かを集めて、勝手な価値観でもって分類して、勝手な価値観に基づいて並べて、似たような価値観を持つ人にコレクションを自慢して、あるいは自分一人でコレクションを見渡して、悦に入る。病が嵩じると蘊蓄ごたくを述べるようになって、家族のみならず友人知人ネットの住人に迷惑をかけたり、時には役だったりする。昆虫標本、切手、プラモ、マッチの箱、絵画、ビデオ、なんのコレクターだって、そういう意味では同じだ。
しかるに、詩のコレクターというものは存在しているのだろうか。詩の本、詩誌のコレクターは間違いなく存在しているだろうが、そうじゃなくて、いまこの瞬間このネット上にあふれる詩をコレクションしている人はいるのだろうか?
おそらく、いくらかはいると思う。私も少しは集めている。ネットでしか読めない、いつ消えるかわからない、儚いかもしれない、だけど私の好きな詩のひとつひとつを、作者に無断で勝手にコピペして集めている(個人で楽しむだけなら著作権上の問題はない)。私はそれらの詩を、作者に無断で勝手にカテゴライズし、アーカイブしている。PCのハードディスクに、CD-Rに、プリントアウトして紙の上に。そんなことされたくない作者だっているだろうが、そんなこと、コレクターである私の知ったことではない。あたしゃ好きなもんを集めているだけだ。コレクターとは、このように鼻持ちならない勝手な人種なのである。あー、イヤだねーホントに。書き手からみたらゴミだね。ダニだね。しかし、作家たちを生かしてるのは、読者だけではなく、コレクターとゆー鼻持ちならんダニでもあるのだ。コレクターが金を出すから業界は潤うのだ。少なくとも、その業界で経済がちゃんとまわってる場合にはね。詩はそうじゃないけどね。
鼻持ちならないついでに言わせてもらえば、詩を書くひとたちは、えてしてナーバスに過ぎる。創作物は、もはや作者のものではない。無断で大幅な書き換えをされたうえ原作者の名前で発表されたり、盗用されたり、無断で商用使用されたりしない限り、批判されようと誤解されようとパロディの対象にされようとコピペされようとアーカイブされようとカテゴライズされようと、文句こくな耐えろ。耐えられないなら発表すんな。
むろん、これは暴論である。あんたも詩人ならば、暴論のひとつも吐いてみな。
(いよいよカオスだよ、をい)
二流詩人7つの条件
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補遺一覧
名乗り
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名付け
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カテゴライズ
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