鏡像(15)「長い夜」
リリー

 「ハマさん、夕食後また三十万盗難事件ありましたよ。」
 「困ったもんやなぁ…。一昨日の空き巣はキクチ君やったしな。」
 「今夜あたしですわ、さんざん…。」
 宿直日の二十時前、事務所におられる守衛さんに挨拶する

 廊下におられる方達を居室へ誘導する私へ
 血相変えて掴みかかるNさん
 「返してちょうだいっ、三十万!」

 この日就寝前の点検で二人は発見する
 暗い廊下を下半身裸で彷徨うフクさんの後ろ姿
 「おおおーっ、ちょっと待って待ってええええーっ!」
 廊下には点々と垂れ流される排便
 風呂場で洗身するため居室へ着替えを取りに走る
 布団の端に脱ぎ捨てられたオムツと
 汚れたシーツや畳

 二十二時を回りやっと一息つく
 「ケーキあるから食べて行き。」
 「先、シャワーして来ますね。」
 若い子の宿直日には、いつも差し入れを持参してくれるハマさん

 「なあ、そもそもがおかしいですよ!」
   八時間の日勤で疲れてる職員が引き続き宿直に就く
   実際は二十四時間勤務だった
   書類上は八時間就眠している事になっているので
   翌日が休日でなく、遅出出勤
   百五名以上の入居者の内、二十名近い車椅子と
   三十パーセントは超えていただろう認知症の方達を
   一人で、みるなんて!事件が起こってからでは遅い

 「労働基準法に引っかかってもおかしくないなぁ。」
 ハマさんは若手職員の愚痴の吐きどころになってくれていた

 宿直室で仮眠体勢に入る午前零時過ぎ
 ガラリッ、開いた木戸
 そこに小さな黒い影
 モゴモゴ 入れ歯を外した口は訴える 
 「ご飯まだか?まだなんかっ、食べてないんや。」
 睡眠導入剤の効き目が悪かったのか?
 呆けた顔で徘徊なさる八十代女性
 
 深夜のオムツ交換は異常なし
 午前五時半なって出勤して来た若手職員の先輩
 「どうやった?」
 「うん。何事も無かったですよ。」
 「よかったやん!ラッキー。」
 そう、たとえどんな夜であっても騒動にさえならなければ
 ラッキーなのだ

 宿直手当の五千円なんか要らないから
 自分だけシフトから宿直を外して欲しいと主任へ
 本音を言うベテランもいたのだ

 
 
   


自由詩 鏡像(15)「長い夜」 Copyright リリー 2024-03-11 07:49:45
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