【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉[742]
2019 05/30 16:00
るるりら

こんにちは。わたしは未熟者ですが、いただいたご質問に対応させていただきます。
まず、ことの経緯を 復習させていただきます。

わたしは、プチ企画として 自身の作品を 生贄スレのスタイルでの批評をいていただくことを提案しました。その後 ベルさんよりプチ企画をより良くするためのご質問として、>>728  >>731というご質問を頂戴しました。
 わたしどもには その質問に答える能力がなかったので、わたしは 企画をとりさげています。にも かかわらず>>735において
「質問を掘り下げないんですね。
やがてるるりらさんの中で答えらしきものが見つかったら
いつでもどうぞ。」との仰せでした。わたしは既に 企画提案を取り下げています。したがって、企画改善のための話ではなく、ここからお答えする内容は、ただの雑談と思ってください。

以下は、わたしは、なぜ ノーコメントを選択したかという話となります。質問を再掲載します。
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 質問―

 ある作品があって、読者がそこに
 何らかの欠点を見つけたとします。

 誰が観ても明らかな欠陥・欠点です。
 そのとき、それに対して読み手の内部で
 この欠陥欠点をむしろ評価する反応をする人と
 欠陥であり欠点なので否定する人がいます。

この違いがどこから来るかわかりますか?

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わたしは、人と 話をさせていただくときに お話の内容よりも大切なことがあると感じています。それは、その方が善意であるか悪意であるかが もっとも大切なことであると、感じます。

たとえば、わたしがとても可愛いと感じている年少の人に何らかの欠点を見つけたとします。誰が観ても明らかな欠陥・欠点です。
 具体的イメージのために仮に例を出します。拙詩【十三夜月のくるぶし】に出てくる十三歳の言葉の過ちは、多くの人にとって 過ちです。
 この十三歳に対しておおむね好意的な関係性の一人の人物が、 過ちであるからこそ 微笑ましいという反応をすることがあります。それと同時に、欠陥であり欠点なので好意的に否定の反応することもあります。
 逆に この十三歳に対して悪意しかいだいていない関係性にある人物の場合もあることでしよう。悪意をもって欠陥であり欠点なので否定するケースと、悪意をもって欠点を指摘しないことも、あり得ることです。

善意から発した出来事は、おおむね 心温まる交流となるはずです。しかし、悪意から起こり得ることは、心がひえびえとするような言い争いの勃発が予想されます。

ご質問に返答できなかった理由は、ふたつです。
 欠点を指摘するかしないかという選択の違いが どこから来るかについてよりも 大切と感じていることがあるために 返事ができませんでした。
 もうひとつは、ダメな回答例を あげておられる点です。裸の王様という回答であるならダメな回答なそうですね。質問の意図が分からない私には、なぜ裸の王様という回答ならダメなのか分かりませんでした。
わたしが、なにかしらの回答を行うことで、ダメな人のハンコをさらに頂戴する勇気がなかったのも理由の一つです。

べルさんは 読者を優れた読者を想定しておられるとのことでしたね。わたし自身は
、優れた読者であると想ったことが 一度もありません。いままで多岐に及ぶアドバイスやご意見を頂戴してきました。感謝しています。たまには誉めていただいた日もありました。しかし、わたしが優れた人物ではないことは明白です。わたしがベルさんのお気持ちを満足することができなかったことが、すでに過去に なんどもありましたからね。

 そんな私が、聡明なベルさんがスレ主である場所に、【生贄スレ スタイル】の批評を希望した理由は、私が返事に困るご批評をいただいたとしても ご意見をしずかに賜り しずかに自身の詩を書く人としての筋肉にさせていただくことができるはずという思いがありました。 

ですが、企画は取り下げています。
今日は、なぜ質問に回答しなかったのかを書かせていただきました。わたしに
悪意は無いことが 伝わることだけを祈っています。お邪魔いたしました。

失礼のほど
おゆるしくださいませ。
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