【期間限定~9月15日】23歳以上の人の『夏休み読書感想文』(原稿用紙3枚)[7]
2015 09/10 14:32
深水遊脚

「書を捨てよ、町へ出よう」

 この言葉は取扱に注意を要する。読書なんて役に立たない、というお手軽な暴走か、あるいは読書も大事だけどそれだけじゃアカン、という壊れた説教を生むだけかもしれない。たとえばこう。

http://toyokeizai.net/articles/-/13404?display=b

 この言葉にまつわるこの類いの主張は迷惑と思うけれど、主張することは自由。確かなことは、それはつまらない。そしてそのつまらなさで町は充満している。

 だいぶ時代は違う。見るなり濃厚な昭和臭を感じてまともに読まないのは無理のない反応だろう。それにしても「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉はこの本のなかで一番つまらない部分ではないか。少し言葉を探そう。


《第一、身繕いのできなくなったギャンブラーというのは必ず負ける。「人は見かけによるものですからね」》

偶然性に身を委ねる怖さを知る人は、その備えが身繕いに現れる。この言葉は「ギャンブラー」として踏み出した人に向けた言葉。規範に守られる範囲の外にでた人への言葉。自分も他人も間違えを犯すという目を反らしようのない現実がこう軽やかに語られるのはいい。

《考えてみれば、月光仮面は私立探偵社で安月給をとっている、変態癖の中年男である》

 マフラーと仮面とオートバイで変装して別人のように力を得たとして、力を使う理由は、たとえば警察のように既にある正義に準拠しているに過ぎない。力は得ても踏み出してはいない。それを描くこの言葉の辛辣さはいい。

《使えるものは、はやく、有効に、そして美しく使うべきである。老人たちに、「あいつは力がありあまっているようだから、ひとつ自衛隊に入れてベトナムにでも送ろうか!」といわれてからでは、手おくれなのだよ!》

この言葉までに語られる、老人であれ若者であれ男の性的欲望しかみていない部分は、読まずに捨てても構わないと思う。でも誰かに利用されないうちに、誰かに無力だとされている力を、自分で信じて自分のために使うなら、それは多分美しい。

《なぜなら、一般的な社会通念というやつは、「きれいな花を見ていたら死にたくなった」とか「一寸死んでみたかった」という心情など決して理解してはくれないからである。》

 私は自殺を推奨しない。これについてだけは踏み出さないことを主張し、実力で阻止するかもしれない。でもそのとき、理由のないことを愚かと諭す一方で、何の根拠もなく生きることの大切さを諭す矛盾を晒すしかないかもしれない。



 私の身勝手な選択と感想なので以上は一切気にせず、ご自分で言葉を探すことをおすすめしたい。読まずに語るなんて、書にも踏み出さないつまらない行いは、出来ればしたくないもの。

 最後にこの本の第三章、ハイティーン詩集がとても楽しめたことを書いておきたい。とくに秋亜綺羅さんの「百行書きたい」、どの行もいい。この章は昭和平成あまり気にせず読めると思う。


『書を捨てよ、町へ出よう』寺山修司著、角川文庫、改訂十五版をもとに書きました。
スレッドへ