HHM2(第7回批評祭)!!!!!!![73]
2014 04/15 06:26
澤あづさ

>>71 骨山ヒビ吉さんへ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=269509への感想は、コメ欄に書きました。
 個人的希望として、骨山さんにチョムスキー先生を説明してほしいです。

>対立するものではなく、強いて言えばSさんはデイヴィッドソンがいうところの?事前理論?、Bさんは?当座理論?に関する話をしている気がします。

 わたしに対立していた自覚はないんです。そもそも理論の話をしていません。
 だから「なぜこの話の流れで、わたしにそんな話が振られたのかがわからない」と主張していただけなのです。

 つまるところ、わたしの単なる被害妄想です。
 話終わり、以下「わたしが話題にしていた文法」について便乗余談。

  +  +  +

「言語は文法に先立つ」と骨山さんもおっしゃっているように、文法は先人の研究の成果です。それは社会の「制度」でもあり、「政策」にも大いに関与します。
 だから無形文化遺産の至極である言語が、しばしば侵略者の弾圧によって滅ぼされます。
 民族の宝である言語を守るために、あるいは殺されてしまった言語を蘇らせるために、文法は編集され実用されています。
 日本語文法(語学)も同様の意義がある、その歴史と現実は愚弄できるような軽いものではない、と最初から書けばよかったのかもしれません。

>そしてたぶん、文字以前の声の時代はさらにバラバラで遊びというか自由度が高かったはずです。おなじ共同体内での個々人のパロールはけっして一様なものでなく今よりも揺らぎがあった。しかし、文字がうまれることでそれは?ある程度?規範化される(また、文字とはことばを空間にピン留めする技術のことでもあり、世界はふり返りや分析の対象になります)。そしてそのことはさらに大きな集団の形成を可能にし、より大きな集団(さまざまな自然言語や俗語にあふれたイロンな共同体からなる)をまとめ上げるための言語はさらに恣意性や揺らぎの少ない安定したもの(そしておそらく?透明性としての翻訳可能性を含むもの?)でなければならない。(18世紀に『英語辞典』を編纂したサミュエル・ジョンソンも「ヨシ、不安定な英語を?固定?する!」的なことをサクッとゆってるし、またそれはその地の人々から待望されてもいた)

 こういうことの現実的な事例として、ウェールズ語が挙げられるように思います。
 古代には口伝・口承文化によって発展した「パロールしかない言語」があまた存在していました。UKの一国ウェールズの土着語、アーサー王伝説でも有名なCymraeg(ウェールズ語)もそのひとつです。
 ウェールズ語は、ゲルマン語派の英語とはまったく異なる、ケルト語派の言語です。
 たとえば英語の「I’m your love.」(構文はSVC)を、ウェールズ語では「Dw i’n dy garu di.」(構文はVSC、発音は「ドゥインディガリディ」みたいな感じ)と言います。語彙どころか文法からして異なる、まったく別の言語です。

 中世までウェールズの公文書はすべてラテン語で書かれていました。ウェールズ語の口伝がラテン字で編纂されはじめたのは、14世紀に入ってからでした。
 かつてウェールズの各地(古代ウェールズは天下統一されなかった土地と有名です)で話されていた本当のパロールの真相を知る手段は、もはやありません。イングランドによる侵略と言語弾圧のためにひとたび、完全消滅(話者がひとりもいなくなったということ)したからです。
 なので現今ウェールズ内政府は、14世紀ごろからラテン字転写で編集されてきた口伝から文法を再現した、言わば人工言語としてのウェールズ語を、政策として保存しています。
 これはパロールとして、そして日常語としてつかうことのできる完全なラングであり、新造語も生まれ方言も復活し、本も書かれて隆盛しています。ウェールズが「天下統一できない土地」のままだったら、こんな言語は生まれなかったかもしれません。

 ウェールズの義務教育では、ウェールズ語が必修科目です。公共機関の看板も英語とウェールズ語の併記を義務付けられています。
 そのような政策で保存しない限り、ウェールズ語が再び消滅してしまうことは明白です。
 生活するにも教育を受けるにも英語が欠かせず、英語さえ話せれば不自由しないという環境のなかでは、人口的な保存以外にウェールズ語を生き残す道はありません。

 それと同じ危機に、日本でアイヌ語も瀕しています。
 きわめて深刻な消滅危機に瀕しているアイヌ語を保存するために、アイヌ語用の特殊カタカナなどを駆使した「日本語話者がアイヌ語を習得するための文法」が編集されています。そうしたものがなければ、アイヌ語は歴史からすら消滅してしまいます。
 ハワイ語消滅の危機に瀕しているハワイでは、幼児へのイマージョン教育による保存運動などが起きています(http://www.chikyukotobamura.org/forum/salon090321s.html)が、日本でアイヌの末裔に対しこのような教育をおこなうのは困難でしょう。結局「日本語話者がアイヌ語を習得するしかない」そのとき文法が不可欠になるわけです。

 日本語がいつか滅ぼされたのち、日本語の文書が語り継がれるためにも、文法は必需です。
 わたしが述べていた文法は、そういう社会と実用の次元でのお話でした。
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