05/20 07:24
深水遊脚
中川さん、蛙さん、お久し振りです。はなもとあおさん、はじめまして。ツさん、こひもともひこさん、こちらでははじめまして。
プロフィールのBBSでいろいろ呟いていましたが、引用するほどではないので、箇条書きでここにも記しておこうと思いました。
〇公に誠実なありかたと、私に誠実なあり方
詩は私に誠実なあり方を追求したものかもしれません。ただ、私的な誠実さを正しさだと錯覚してしまえば、主観的なもの(たとえばポエジー)を普遍的なものとして押し付けるような、おかしなことになります。ゆるい例えですが、普通に「これ面白いね」といえばいいところ、「え、面白いでしょ。なんで笑わないの?」と思わずとんがってイヤがられるようなおかしさ。
はなもとあおさんが書かれていた、history
と story ということや、ツさんが書かれた外部に対する緊張感(よそ行きと普段着ということがふと浮かびました)とも関連しそうです。
〇平安朝の和歌
返歌や本歌取りの名作がなぜ語り継がれたか。そこいらのポエムサイトの、感想の代用品みたいな返詩では歴史に残らなかったでしょう。それぞれの歌人に個としての深さがあり、なおかつ相互に了解しあえる教養や美意識があった、のかもしれません。
〇自己模倣
模倣の何が怖いか、それは自分でものをつくるという志をくじいてしまうことです。自己模倣は法的、経済的な問題は発生しませんし、誰にも迷惑はかけません。たぶん志の喪失ということが、模倣をやらかした人の評価を下げるのかもしれません。
最近は短歌を書いています。形式的な約束事が決まっていて、そのなかで言葉そのものの活力みたいなものを生かしきって、そのために多少のルール違反はするけれど、根本的なルールは尊重する、という書き方でいまのところは行っています。あくまで口語で書くことにもこだわっています。自由詩を
また書くとしたら何を書くか、いまは想像できません。だからここでなにかを語ることを遠慮していたのですが、愉しそうなのでつい首を突っ込んでしまいました。これにて失礼します。