詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2+α[152]
05/16 11:22
はなもとあお

ツさん、はじめまして。
……とある蛙さん、はじめまして。


詩が何かわからないで詩を続けるのもどうかと思うので、やはり自分個人としての見解は持っていたいと思います。それによって、結果としてわたしに同人ができなくても、それも仕方ないのかな、とも思います。詩への見解はまだまだ勉強中でいまはっきり述べることは出来ませんが、……とある蛙さんが話されていた抽象画を書くのとはやはり違うのではないか、と思うのです。ひとつの詩のありかたとして、抽象画的な試みがあっても良い気はしますが、やはり絵は絵、詩は詩であることの理由はあって欲しいものだと思っています。それが作家性にしろ、選択した表現方法が、読者との鏡像だけで語られてしまうには、表現者の主張性を否定してしまうことになると思います。
読者として、受け手としての楽しみ方はある程度個人の投影を楽しむありかたでもいい気はします。その点において正しさ、正しくなさは、作者としてこれは伝えたかったけど、違う受け止め方をされた、ということはあり得る話だと思います。何が正しいかは、置かれている立場によって変わるのだと思います。

わたしは詩を書くひとだけが詩を読むもの、と限定したくない気持ちが強いです。詩を詩でかえすことに違和感があるのはそんなこともあってかもしれません。
わたしは絵も描きますが、わたしの場合、絵はわりと無意識的です。詩も昔は無意識的でしたが、いまは意識的に伝えたいことを持っているつもりでいます。

自分自身作り手として持っている問題はありますが、それはわたしの詩作のテーマであり、まだ同人ももたないわたしは、他の作者からも読者からも左右されることのないものだと思っています。

もちろん、何かに影響されて、ということもありますが、それがメインとはならないものだと思っています。

作り手あり、受け手ありの世界であることはどんな芸術でも変わらないと思います。そこに異議はないです。

文章がうまくまとまらず、おふたりに返信するかたちになり、すみません。
読解力のなさで、うまく話せていないかもしれません。すみません。

詩の生きる道という、とある蛙さんの言葉がとても気になったのでした。それはやはりジャズに例えられたりじゃない、音楽とは別のものでありたい、と個人的には思っています。
朗読する作者は、また違う見解であって、音楽と比較されて語られてもいいものなのかもしれません。


個人的には、自分のテーマを持って詩作を続けることに答えを置きたいと思っています。
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