詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2+α[104]
2011 12/15 10:56
深水遊脚

 『智恵子抄』に関する肯定的な評価をあまり聞かない。たまにみる雑誌でのたまたま目にした評価でありちゃんと調べたわけではないけれど、高村光太郎の名前を目にしたとき、悪くかかれたものしかなかった気がする。その一つは、うろ覚えだけれど「あなたはだんだんきれいになる」が書かれたときの智恵子の年齢を詮索して、その年齢の女性に美辞麗句を並べ立てても嘘くさいとする、何とも失礼な内容だった。対談のなかでうっかり喋られた内容であり、何かの例に出したのがたまたまこの詩であり、他の詩でもよかったのだろう。おそらく詩行の一つ一つの記憶も曖昧だろう。この詩にまっすぐ向き合って出た言葉ではないのだろう。そう思って軽視しようとしても、軽い違和感のように腹立たしさは拭いきれないまま今に至る。
 軽い違和感のポイントは、女性の年齢ごとに男性が描く勝手なイメージを普遍性の判断基準にしているところだろうと思う。確かに日本人は、人の属性のなかでも年齢を必要以上に重視する傾向にあるようだ。やたら年齢を詮索するし、はじめに年齢ありきで人の個性を判断するという感覚が染み付いて剥がそうとしても剥がれず、いろいろな場面で人が不愉快な思いをしてしまい、また人に不愉快な思いをさせてしまう。時には人から仕事を奪う。
 もうひとつは、ほめる言葉を軽くみる傾向だろう。「あなたはだんだんきれいになる」を『智恵子抄』全体のなかに置いてみれば、たいして深く読んでいない私でさえ「あなた」に見出した価値がいかに重いものかがわかる気がする。質素な生活を送り、先も見えないなかで自分が選んだ道を生き抜こうとした光太郎と志をともにして生きようとし、時に光太郎を叱ったり励ましたりする智恵子の価値が。
 「年齢による偏見」「ほめ言葉に対する蔑視」どちらも、ベタベタの社会通念であり、それがもたらす害悪からは、日々の生活では避けたいと願っている。詩を語る言葉でこのようなベタベタの社会通念を右から左に流しているものをみると、心底がっかりしてしまうのだ。

#私ばかり語っている気がするので、このへんでお休みをいただきますね。
#文書、一部訂正しました(訂正前:「質素な生活を送り、先も見えないなかで自分が選んだ道を生き抜こうとした光太郎が、志をともにして生きようとし、時に叱ったり励ましたりする智恵子の価値が。」これだと意味が通らないので)
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