詩集・詩誌のスレッド[257]
2008 05/05 10:45
松岡宮

CUBE/川江一二三/ミッドナイトプレス社

のかんそうです。

生まれて生活をこなしてゆくと、いろんな足跡をつけたりつけられたりする
のですが、なんというか自分につけられた足跡で、忘却していたようなもの
を思い出させるような作品でした。

>電車に乗ると背後に空間ができる
>どうやらほとんどのひとは見えないらしい
>それでも時々 ぎょっとした顔をして
>あわてて新聞に目を落とす中年男がいたり
>このひと痴漢です の言葉を呑み込む女子高生もいる
>見えるひとには見えるのだ ヒトガタの闇が
(第八夜/飼育)

これは男の死体をランドセルのように背負って電車に乗るというくだりです。ここを読みおもわず振り向いてしまったのはわたしだけではない
でしょう。わたしはあまり、ひとの背後にはいろんな過去や関係性の
糸がからみあっていると想定するのが得意じゃなく、そんなことを
あまり考えなかったのですが、ひとりの背後に10人の人間が背負われて
いるとしたら、いや、背負っているはずなのですよね、しかしそれは
意識しだすと恐ろしいものです。

>小学生の夏に魚をもらった
>あまりにもちいさくて あまりにも紅かったから
>天井裏で飼ってやった
>水が蒸発して 紅かったのが白くなっても
>天井裏で飼ってやった
>わたくしがいなくなっても かまわず
>天井裏で飼ってやった
>ひとり減り 十人減り 百人減って
>町が消滅しても
>天井裏で飼ってやった
(第10夜/屋根裏の魚)

しかしこの部分は思い当たるというか、乾いた魚のなきがらの刻印が
ふっとよみがえりました。生きているとじつにいろんなものを刻印して
ゆき、かつ、適切に忘れたり押し殺したりしているのでしょう。

幼い頃の記憶力のよさを思います。毎日が新しい発見ばかりで、あれも
これもと手に入れようとしていました。そんなものたちは、けっして
死なない、けっして忘却されない、消滅しないのでしょう。

>わたしは魂のたまを愛し続けていかねばならない
(第11夜/春のたましい)

>(減価償却割れの装置は速やかに排除すること 可能な限り)

個人事業主になって、減価償却という概念を知ったとき、なんとおそろしい
概念だろうと思ったものでした。もの自体は減らないのに・・・と。
いくつもの減価償却割れが、東京湾や屋根裏に残っているのかな。忘れちゃ
いけないと叫んでいるようです。

少し日々の見方が変わりました。

松岡宮
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