【期間限定〜9月15日】23歳以上の人の『夏休み読書感想文』(原稿用紙3枚)[9]
2011 09/12 18:18
深水遊脚

かっこ悪さは強さ (『一茶』藤沢周平著 を読んで)

 誰かの生き方に対する評価は、その人自身にも、他人にも分からない。後世の歴史家に評価を委ねようとすれば余計に大事な部分は抜け落ちてしまうかもしれない。何かが欠け、何かが過度に強調される他人の評価は(異なる時点からの自己評価でさえも)、数を集めて相互に補い合わないと、評価対象の人に対するひどい誤解をもたらすことになる。結局のところ評価は役に立たず、人はただその時々を懸命に生き抜くしかない。
 小林一茶については人間味のある作風、子供や小動物に対する慈しみの感じられる句に定評がある一方で、遺産相続の際の強引な交渉、歳をとってから娶った妻との貪るようなセックスがたびたび話題になる。これらは矛盾する事柄だろうか。私がこの小説を読んだ印象では、一茶の生涯は、生きる力をその時々で身につけ、清も濁も丸ごと引き受け、気取って体裁を繕うことなく懸命に格好悪く生き抜いた、あっぱれな人生に見える。藤沢周平もそのあたりに興味をひかれて一茶を題材に選び、筆が進んだのではないかと思われる。この小説には、一茶が二十前後の若者だったときに、三笠付けという下の句に上の句(あるいはその逆)をつける博打まがいの遊びにたびたび参加し、賞金を稼いでいたという描写がある。これは資料からは分からないその頃の一茶について作者がかなり想像力を働かせて作り出したものだ。一茶にとって俳句を作ることが金に困らぬ者の道楽ではなく、それを使って生きてゆく為のものであったことを端的に印象付ける描写だ。
 俳句を使って生きてゆくといっても、身も蓋もない言い方をすれば、自分の句を面白がってくれる誰かに庇護されて食い繋ぐというものである。幼少期に父親によって江戸に奉公に出されて郷里を離れたが、奉公先の仕事が長く続かず、三笠付けの場で俳人と出会ったのをきっかけに俳句で食い繋ぐ生き方を一茶はしてきた。一方で郷里では弟と義母が中心になり真っ当に努力して田畑を増やしていた。一茶の義母(父親の後妻)と一茶との不和を解決すべく一茶を江戸に奉公に出していた父親は、将来一茶が困窮することを見越して、長男である一茶に田畑の半分を相続するという遺書を残してこの世を去る。あくまで小説の描写だから一茶の心理がこのようなものだったかは分からないが、一茶は当初人並みに遠慮する。田畑は自分が大きくしたものではないのだと。しかし幼い頃から自分をいじめてきており、今また露骨に自分を胡散臭げに見下す義母に対する反感を募らせ、父親の財産を受け取ろうと決意する。相手にされない状態から、「半分にこだわらなければ」と弟がわずかに心を許して設けた会合の席で、父親の遺書を公にしてその半分の権利を主張する。実際に引き渡されるまでになお数年を要したが、受け取った後に、権利確定後に義母と弟が占有していた家や田畑のレンタル料も取るという徹底ぶりだ。
 こうした逞しさゆえに、既得権に胡坐をかいていばっているだけの俳人に対しては激しい侮蔑の感情も見せたりする。社会的な地位は侮蔑する相手のほうが良くみえるのだから嫉妬も混ざる。そうした社会的地位よりも生命力のほうを尊び、己を貫いた生き方に、私は強さを感じる。筋を通す生き方では全くない。めちゃくちゃだ。でも、形にとらわれて身動きできなくなったとき、この人のように生きられたら、と思うことは大いにある。
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