生贄合評スレ[393]
2016 05/12 08:31
高橋良幸

田植えの季節。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=318169

<1>
 私はこの情景は良いと思います。読後感として情景が良いなあと思うのですが、このままでは散文として書いたほうがより情景が深く現れてくる気がしました。散文で書いたほうが良い一つの理由は、時系列に沿って丁寧な説明が可能であることです。特に4連目は何を言おうとされていたのか(何の小ささを何に比べて特筆したかったのか)この3行だけでは不十分ではないでしょうか。全体的に主語がわかる文章のため、ここだけ主語が不明なのもあまりいい効果ではないと思います(母だと推測はできますが)。3、4、5連目はそういった、行分けの詩に押し込むための無理がたたっているように見えました。ねまるさんの指摘されている、「ながら」の多さもそこに関係していそうな気がします。散文でなくとも、行分けをやめて文の長さにこだわらず、散文詩として書いてみたらより良くなるのではないでしょうか。
 情景を想起させるキーワード自体は文の総量に占める割合は少ないので、それに関してはバランスの良い、要点をついた言葉が選ばれているのだと思います。6連目に一旦遠景を描写し、7連目に近景の父が遠くを見る表現は映像的な印象を受けました。欲を言えば、「遠く」が2回連続して出てきているので片方は別の言葉で遠くを表現したほうが深みが出たと思います。
 いわば、写真のような詩だと思いました。作者のアルバムにある大事な風景。この詩は読者のアルバムにしまわれるでしょうか。作者はそうしたいと思っているでしょうか。私が受けた印象は、そのちょうど境界ぐらいにある詩だろうな、というものでした。5連目がこの詩の肝になりうる部分だと思うのですが、その部分と他の連との連携が詩に深みを持たせるためには足りていないと思います。田植えをしたことのない個人の感想ですが、田植えの労働、汗、願いのほうが神様向けの物ではないでしょうか。その延長にいただきますがあって・・・というながれを予感させる構成だと、「いい情景」以上の読後感があると思いました。
 散文詩として情景に深みを持たせるか、行分け詩として神様と家族の有りようを繋いでいくか、より良くするには2通りの方法があるのではないでしょうか。後者の場合は、うまく組み込めなければ4連目は不要な気もします。

<2>
前回有った鉤括弧問題について、今回は7連目には鉤括弧があったほうが良いように思います。理由としては、
1.主語がはっきりしていること
2.
・私も「よろしくお願いいたします。」 なのか、
・「私もよろしくお願いいたします。」 なのか、
読みにつまづきを与える可能性があるためです。(ねまるさんは読みの冗長さの有用性を指摘されていますが)

また、るるりらさんが指摘されている
>都心へと続く田んぼの中の線路。
は私はこのままでも良いと思いました。「線路」の体言止めが何を想起するかは人それぞれだと思いますが、「続く〜線路。」の組み合わせは私には消失点を想起させ、この表現のほうが広がりがあるように感じます。その後の父の動作との間に、もう一行視点を遠景から近景へ移行させる何かが欲しい気がしましたが。
以上です。
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