ニューススレ[860]
2005 03/07 04:38
石川和広

私的感慨を

リョウくんの言葉については、メディアをきちんと読み解こうとする「尊重」の感覚を持つ人からしたら、「劣等」という言い方は、民族国家を一くくりにして罵倒するように見えるよね。もちろん。
ただ、タヒさんの私信に応じると言うことで、リョウくんの態度は、もっと酷い、閉じた連中とはちがうとわかった。

なんか、マッキーの歌にあるけど、ナンバー1じゃなくて、オンリー1という、個をとにかくも、大切にする感覚が、留学中に見聞した韓国人を、みて欠如していると感じ、そこに問題を感じたと言うのが最大想像的に読み込んだ、リョウクンの言葉だった。
人情からでも、民族まるぐくりは、ちと拙い。
しかし、日本人が一時やらかしてた「旅の恥は掻き捨て」感覚を、リョウくんが出あったいくつかの人たちが持っているのかもしれないと感じた。それは、辛いな

>原口さん
遅くなってすんません。議論を続ける気をとりもどしてくれて、うれしかった

リョウ君の発言が、在日の人にどういうインパクトを持つのか、わからないから、当事者がスルーするか、怒ってくるかは我々にはわからない
ただ、日本人が同胞の発言に、怒り恥じ入るのはわかる。ただ、まだまだ皆、異文化接触については、直に学んでいくしかないし、それぞれの偏差を持つことは認めてるよね?

ワタナbさんの発言は、地球規模で、いつも、他者接触の機会は人類史上たくさん、あるんだというのは、よくわかる
ただ、まだ、その中で、共同幻想の民族国家は機能している国はたくさんあると、ぼくはこだわりたいし、実際、行政単位としての国家が、我々の生活を保障し、また抑圧もしていると言うのは忘れたくない
まあ、そこも含めたワタナbさんや、清水さんの発言だと想像しています。

最近網野善彦さんという日本史学者や西成彦さんという植民地文学研究者をとうして、幻想としての国家と細かく張り巡らされ、私たちの生活に入り込んでくる「国家」は、いくらも再生産されながら、しかし、その力が弱まっているのか強まっているのか、どのくらい必要なのか、なかなか程度の計量が難しいなと言うのが実感です。
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