ニューススレ[644]
07/14 12:12
もぐもぐ

あの、ニュースと離れすぎた一般論的な投稿は差し控えた方が良いでしょうか?
やや不安になってきました。すみません。

戦争に関係して。

戦争という語は多義的な言葉であるが、ある特定の戦争がおこる原因や実態は、極めて多様である。病気がその原因や実態において多様であり、その対処法も別々に見なければならないのと同じように、戦争についても、そのそれぞれの原因や実態に応じて、別々に対処法が探られる。

戦争という言葉は、広義に取れば、ありとあらゆる物理的暴力による衝突を包含する。
が、一つの軸として、その暴力の主体は誰かということ、相手方はだれかということ、によって、幾つかの類型に区分されうる。
1.対外的な、国家対国家の紛争。この場合、それぞれの国家において組織された軍隊が動員される。
2.国内における私人対国家の紛争。その私人が持っている正当性の程度によって、単なる暴動から、革命、独立戦争、等の種類がある。
3.国内における私人同士、若しくは国家自体が分裂して行われる紛争。国内統一の過程での群雄割拠としても、単なる無政府状態としても生じうる。


何れの類型の暴力的衝突についても、それを実効的に防止するための方法というのは、歴史的に見て、それほど多くない。(とはいえ、完全に無秩序に暴力が吹き荒れることは、どんな国にとっても不利益なことであるので、全く防止の手段がとられていない時代というのも、ありえない。)

3.は恐らく一番面倒なパターンである。無政府状態は絶対に避けなければならない。
ところが無政府状態を避けるためには、誰かが統一国家を形成し、その政府の地位につかなければならない。けれども政府になることを求める勢力が複数存在しているような場合、その間での群雄割拠が起こる。どれかの勢力が比較的早期に国内を平定した場合は害は少なめで済むが、勢力が均衡しており、戦いが長引くような場合には、それだけ害は大きくなっていく。また何れの勢力もが私益のために行動し、統一国家を形成する意思を持たないなどといったような場合には、半永久的に無意味な暴力が吹き荒れてしまうことになる。
3.においては、暴力を防ぐための仕組みである国家自体が未だ存在していないので、その暴力の発生は、その国の中だけではいかにしても防ぎようがない。
外国の勝手な介入を認めるのもまた問題がある。冷戦下のいわゆる「代理戦争」のように、特定勢力を外国が支援し続け、そのために紛争自体がどんどん激しいものになっていく、という場合もありうる。またベトナム戦争のように、外国が支援の域を越えて、自ら軍事力の行使に参加してしまうような場合もありうる。
現在の所ほぼ唯一確立された手法は、外国や国際機関による対話の仲介・斡旋である。ベトナム紛争におけるフランスや、パレスチナ紛争における米国のように、紛争当事者以外の者(実際には紛争を後押ししていたりする者であることも多いのだが)が紛争の中止を呼びかけ、その対話の場を設定する。これは、なかなか目に見える成果をあげはしないのであるが、武力で争っていただけの当事者に、平和的な対話の機会を提供するということは、長期的に見て大きな意味があるだろう。
なお、このような仲介・斡旋によって一時的にでも停戦が成立した場合、国連がPKO等の形で介入し、その停戦を継続的なものにするための努力を始めることが可能になる。(PKOは基本的に、成立した停戦が破られないよう、監視するためのものである。)

2.は、禁止されるかというよりは、許容されるかが問われることの多いパターンである。国民の支持を得られない急進的な行動もあれば、全国民的な支持の下為政者に反旗が翻されるというような場合もある。暴動を起こす私人は、それが組織的なものである場合には、多かれ少なかれ理由をつけるので、実際に許容されるかを判断することは難しいことも多い。けれどもやはり、その政府が人権を全く保護しようとしておらず、或いは人権を侵害してばかりいる、といったような極端な場合には、市民が国家に対抗して武器を手に取ることも許されざるを得ないだろう(抵抗権)。

1.については、その時々の歴史状況に応じて幾つかの試みがあった。第一次世界大戦までの(ヨーロッパでの)主流は、無差別戦争観(全ての国家が合法的に戦争を起こしうる)をとった上で、「勢力均衡政策」を採用することであった。これは典型的には、各国の勢力を均衡させておき、二国間で紛争が起こった場合には、バランサーである第三国がその時々でどちらに味方するかにより決着がつくようにしておく、という形を取る。バランサーである第三国の意見が固まった段階で、戦争してもおおよその勝敗は予測できてしまうので、無駄な戦争が避けられるということになる。
「勢力均衡政策」の短所は、バランサーである第三国が不介入を決めた場合に、二国間の紛争を防止するものが何もなくなること、ある国が軍事力増強を望んだ場合、勢力均衡の観点からは他国の方も軍事力増強が許容されて、軍拡競争に歯止めが掛けられないこと、また、同盟関係が複雑になり、誰がバランサーで誰が紛争当事者であるのかもはや予測不可能になったような場合に、有効な抑止力にならないこと、等である。(第一次世界大戦はこのような短所から発生した。)
第二次大戦後、戦争は違法化され、理念上は、集団安全保障体制がとられることになった(国連に違法に戦争を起こした国を認定させ、国連軍によってそれを撃破する体制を備えておくことで、戦争を防止する仕組み)。
実際には、米ソ超大国の覇権によって紛争が防止されていたところである。米ソの保有する圧倒的な軍事力に照らして、それぞれの側の勢力下におかれている国家は、米ソの意に反する戦争は起こすことが不可能になった。この体制の短所は、米ソが望む紛争については当然ながら防止されず、むしろ長期化してしまう傾向にあったこと、また、米ソが自己の覇権を維持するために、絶えず軍拡競争を続けなければならないという異常な状況におかれてしまったこと、等である。なお、この体制下で、核の保有と使用についての暗黙的な合意(威嚇のために用い、現実には使用しない)が形成されたのは、意図的なものではなかったが、極めて重要な成果であった。
現在は、米国の一極体制により戦争が抑止されている。それに国連の集団安全保障体制の形が被せられている。
冷戦終了後、湾岸戦争以外の目立った国家間の戦争は特段おきていない。各地で生じている内戦等は、それぞれ独自の理由によって生じており、直接に米国が原因となって引き起こされたものというのはそれほど多くはないだろう。米国による戦争の抑止は、一応有効に機能しているのではないかと推測される。
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