07/14 12:13
もぐもぐ
644の続き;
なお、近年における米国による介入は、1.のパターンとも3.のパターンとも位置付けうる。
各国の内紛については、冷戦期と異なり、米国の介入はその時々の国策に応じた任意的なものに留まっている(勢力圏を形成して絶えずその圏内の国に目を光らせているべき特別の必要性がなくなったため)。特に旧ソの勢力下にあった国家において内紛が起き、或いは無政府状態が生じる等の事態が発生している場合があるが、そのような国内的紛争にまでは、あまり介入をしたがらない傾向がある。冷戦後、米国が国連の活用に若干積極的なように見えるのも、無関係の国の内紛に介入することの負担を、他の国連加盟国に分担させようとする趣旨であると思われる。
因みに、米国による抑止体制に伴う問題は、内戦への不十分な介入のパターンと、政府があるにも関わらずそれを覆すために介入するようなパターンである。
前者については、米国に介入する特段の利益がない場合に、中途半端な形で介入を行ってしまい、紛争の解決になんら役立たないという場合がある(ソマリアの例ががこれに近い)。米国とて自国民の人命が失われることを望むわけがなく、介入の積極的理由が見当たらない場合にはそれを極力避けることになるが、紛争解決の観点からは、これはマイナスである場合がある。
後者は、米国が本当に警察のように、全ての戦争を起こす国家に公平に目を光らせていれば何も問題はないわけであるが、米国にそれを義務付けるものは何もない、というところから派生する問題である。政府があるにもかかわらず、それを転覆する目的で介入することは、単に自国の国益保持のために介入しているのではないかという疑念を絶えず生じさせる。過去にも、キューバやグレナダに「民主的な政権を作るため」というのを名目にして、米国が堂々介入しているケースがあるが、これが本当にその必要性があったのか、単に国益保持目的なのか、判断は分かれるところだろう。
また、理念上、国内不干渉義務(他国の内政については介入しない)は、違反も多々見受けられながらも、基本的には国際社会のルールとして受け入れられてきた。米国は超大国であるとはいえ、理念上は、他の国家と平等な単なる一国家に過ぎない。それが他国の内戦について介入を繰り返すのは、理念的な問題を生じさせる。
イラクについても、政府があるにも関わらず介入を行った点、また、政府転覆後に生じた無政府的な状態について、十分な介入を行っていない点(イラク駐留米軍は、最初から規模が小さすぎたのではなかろうか。なお、これは、広い国土で無政府状態が生じた場合に、それを防止するのがいかに困難かをも示すものでもある)において、米国の介入の仕方には問題があっただろう。特に、薄弱な根拠で容易に一国の政府を転覆するという決断に出た点については、強く批判されて良い。但し、無政府状態を放置したまま撤退するのは、最悪であり、それは避けられなければならない。復興のプロセスが完了するまで、治安維持のリスクはきちんと負担すべきである。(国連決議に基づく活動という形が取られているので、途中で投げ出したりするのは法的にも問題を生じさせるだろう。)