黄色いぼうしで守るもの (essay)
とうどうせいら

窓の外を見たら学校帰りの小学生らが、集団下校で帰ってきてた。


 ◇◇◇


ん、って思ったのは、
みんな頭におそろいの黄色いぼうし、
ランドセルに黄色いカバーをつけていて、
小雨の中花咲くように目立って見えたことだった。
ここらへんの小学生らは、今まではそんなのはつけてなかったんだ。

ランドセルの色が赤と黒だけじゃなくて、
ピンクや白や青のをかついで、かわいらしい制服を着て、
走って帰って来てた。
ぼうしはかぶってなくて、どの子もさらさらの髪の毛をなびかせてた。
見た目がとても垢抜けてるんだなぁ。
親は愛情のようなもののせいかもしれない。


でも、昔ながらの黄色い集団が歩いていると、目立ってたし、
最近は、子どもらの列に突っ込む車などがあるそうだけど、
視覚的にすごくプレッシャーを感じた。

「今日から安全のため黄色いぼうし、カバーを全員つけましょう」

ってことになって、再度古くからの風習が見直されたんだろうと思う。
親は夜、ランドセルにカバーをかけ直しながら、
明日も無事にわが子がこの家まで帰って来てくれますようにってことを、
ちらっと思ったんだと思う。


なんか、ほっとした。なぜなのか、わからないけど。


ちなみに2006年を表す漢字は「命」になったんだそうですが。

いじめ自殺や、虐待や。かなしいニュースが今日も流れていく。でもそれを機会に、

黄色いぼうしをかぶりましょう

っていうスタート地点をまた人間は、見直すんだなって思う。
ニュースではなく、実際に自分の住んでいる団地を、
黄色いぼうしの集団が駆け抜けていった時、
人間は変わるし、ほんとはみんな変わろうと思ってるんだ、って、
自分の肌身で感じて、すこしじわんときた。

たかが黄色いぼうしだけど、何百人もの児童にまたはめてやるのは、
すごい大変なことなんだって思う。
集団が持つ無言の圧力。それを変えるつよい流れ。

小学生の頃、ぼうしをかぶるのがとても嫌だった。
けど、今、やっと意味がわかるようになった。
その意味が理解できるようになることが、嘆かわしい世の中だと、
言う人もいるけど、でも、必要なのは嘆くことよりも、
今そこにある子供の命に油断しないことだ。と思った。


ちょっと悲しいけど。
大人たちに、教えてくれてありがとう。ごめんなさい。
忘れないように忘れないように。生きなきゃだめでした。

身を引き締めて、世界を守らねば。

私たちは、まだ死んでいないんだ。生きているんだ。

まだ命があるんだ。


そのことを伝えるために、ニュースは報道されたんだ。





◇◇◇



師走の冷えた空の下、黄色い花々が、
笑い声をあげながら小さい足でばたばたと駆けて行く。

「学校、終わったあああ」
「早く早く帰って着替えて野球しなくっちゃーっ」
「そうそうコンビニで『チャーシューまん』買って食べなきゃ」
「期間限定なんだ!」





散文(批評随筆小説等) 黄色いぼうしで守るもの (essay) Copyright とうどうせいら 2006-12-26 21:50:28
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