香
クローバー
1
ばあちゃんは、朝一度
仏壇に線香をたいて
夫と長女に行って来ますをする
六畳間は、線香の匂いでいっぱいになる
2
煙たそうな赤ん坊の叔母さんとじいちゃんを見ながら
中学生の僕は
ばあちゃんに英語を教えてもらった
畳の上で正座するのが嫌だった
3
叔母さんは、白黒だけれど
明るい髪と明るい瞳の赤ん坊で
じいちゃんとは、血がつながらない子供なんだそうだ
僕はじいちゃんも叔母さんも白黒の写真でしか知らない
4
ばあちゃんは、英語が上手だった
母さんは、英語が下手だった
じいちゃんは英語が嫌いだったらしい
ばあちゃんも英語が嫌いだったみたい
今は僕に教えられたからそんなでもないのだそうだけれど
5
右目を閉じ、左目を少しあけた
笑顔の赤ん坊と笑顔のじいちゃんは隣り合って
血なんて関係なく似ていると思う
やっぱり煙そうに見える、いつも香の匂いがする六畳間
6
昔「線香の匂い嫌い」と言ったら悲しそうな顔されて怒られた
怒られたのより、泣きそうなばあちゃんに驚いて
その日から、言わないようにしよう、と心に決めた
7
「いつ英語を覚えたの?」僕は流暢に英文を発音してくれていた
ばあちゃんに聞いた、ばあちゃんは、笑いながら
「こーるがーるにされたときよ」と答えて
続きの英文を読み出したから、そのときはそれがいつか、結局わからなかった
8
じいちゃんも赤ん坊のままの叔母さんも
無限大で寝転んでいて
白い部屋の心電図は、長すぎる一つの山を書いて末広がるだけ広がって
水平線になったので
ばあちゃんも
無限大になって寝転んでいた
9
「苦しいのはいつも残されたものだけだよ」
ばあちゃんは、一度、そんなことを呟いた
偶然聞いていた僕は答えた
「ついていけばよかったじゃん?」
今思えば、なんてひどいことを言ったのだろう
無知は罪なり、小学生でも
10
ばあちゃんは、じいちゃんと叔母さんに
ただいまを、言いに、ちょっと遠くへ行った
仏壇の上
ばあちゃんは、二人の隣に、並んで、やっぱり微笑んでいる
叔母さんは、ばあちゃんにも、もちろん似ていた
もちろん、僕もばあちゃんに似ていた
未詩・独白
香
Copyright
クローバー
2004-03-26 23:11:47