独学の数学者また
佐々宝砂

たぶんヘンリー・カットナー(またはルイス・バジェット名義)が書いた古いSF短編だと思うのだけど、作者とタイトルは定かでない。むかーしのSFマガジンで読んだのだ。

その小説世界では、魔法がごく普通に行われていて、空中浮揚や念力は学校で教わるもの、出来が悪いと怒られる。怪しげなおまじないやお守りは、本当に役立つ便利な道具として使われている。魔法が発達しまくっているので、科学は発達していない。自動車はない。電話もない。というか移動や連絡を機械にやらせるという概念がない。魔法を使った方がはやいし楽だし普通なのだ。で、この世界のすみっこには、どうしても越えられない壁がある。空中浮揚でもだめ。空飛ぶ箒を使ってもだめ。要するにそこが世界の果てなのだとみんな理解している。そんな世界に生まれ育ったわれらが主人公、魔法学校ではだめだめの劣等生くんなのだが、誰も理解してくれない科学というものには才能を発揮し、全くの独学で飛行する機械を作ってしまう。その飛行機で例の壁を越えようとすると、あーら不思議、空飛ぶ箒では越えられなかった壁を越えることができたのだった。

つまりその壁は、魔法の力ではなく科学の力でないと越えられない壁だったのでした、というお話。壁の向こうには私たちの世界と同じような世界があって、科学に頼って暮らしてる。彼等には魔法が使えない。しかし中には主人公と同じような機械的方法で壁を越えてきた人たちがいて、そのひとたちは魔法が使える。科学もわかる。そうした一部の人たちが主人公の肩を叩いて、「よくやったなあ」と賞賛する。君はグライダーを使ったが私は熱気球だった、よくやった、よくやった……。この小説自体は軽いノリのあっさりした短編なので、壁を越えて以降の主人公の成長については描かれない。話はここで終わってしまう。

しかしこの主人公、これから先がたいへんなのではなかろうか。と最近私は考える。壁を越えて科学世界の人々に出会ったときの主人公の気持ちって、どんなもんなんだろう。嬉しいか、悔しいか。主人公の世界観は百八十度変わってしまい、自分一人で歩いてきたと思っていた道が、実はもう踏み固められた道であると知る。自分がもう孤独じゃない、と知ることは嬉しいだろう。自分の好きな科学をこれからは好きに勉強できるのだ、と思うことも嬉しいだろう。だけど、壁を越えて魔法世界から科学世界にうつったいま、主人公の独自性は、彼がもっとも好きで得意としてきた「科学」ではなく、「魔法も使える」という点におかれることになる。主人公は、世界観だけでなく自分のアイデンティティーの見直しをも迫られることになるだろう。

この小説のメタファは、たとえば東洋と西洋の対立を描いたものとしても読める。一生懸命西洋のまねをしてようやく認められるようになったと思ったら、今度は東洋としての独自性を求められていることに気づく、なんて読み方もできる。プロ歌手になりたいと思って努力してやっと売れたと思ったら、今度は素人くささを求められる、なんてのにも似ている。自力で壁を越えるのはたいへんだが、越えてもまだまだ難問が待っている。


独学の数学者は、独学であるうちは幸福だ。独学でなくなってなお、幸福な数学者でいられるか否か? そもそも数学者であり続けることができるかどうか?

独学は、独学であるうちは精密さも完璧性も独自性も求められない。好き勝手にやってりゃいいのだ。間違ってても誰も怒りはしない。詩にしても同じことで、駄作を大量生産しても誰もとがめない。やりたきゃ勝手にやってなさい、てなもんだ。ひとりで詩を書くのはしんどいが、ある意味らくちんでもある。何を書いてもいいからだ。しかしひとたび小さな壁を越えて、他人に自作の詩を見せるという(愚かかもしれない)行為に手を染めたらどうだろう。インターネットにでもなんでも詩を発表してひとさまに見せている以上、もはや詩人はひとりではない。詩の話が自由にできる。勉強もできる。ゲップが出るくらい詩が読めるし、書きたいだけ書ける。

しかし、ひとりでない以上、もう言い訳はできないのだ。まして、インターネットでこれだけいろいろなことが検索でき、勉強できるいま、ただの一人も友人や師がいないとしても、言い訳はできない。どだい、独学独学と言ったところで、私たちは先にあげた小説の主人公ほどには孤独でない。かつてのヨーロッパのユダヤ人文学者ほどにも孤独でない。ちょいと昔の中国のロックバンドに比べても孤独でない。東欧でひとりSFを書いてたレムに比べても孤独でない。私たちは孤独を知らないと言ってもいいくらいだ。似たような思想、似たような趣味のひと、あるいは似たような境遇で育ったひとにすぐ出会える。共感もすぐ得られる。質問すれば誰かが答えてくれる。

この状況下で私はもう独学の数学者ではない。しかしいまだある意味で、私は独学の数学者でもある。私はいまだ越えられない壁を見つめている。その壁を越えたら、越えたら……私はあるいは、今現在の自分を懐かしむことになるのかもしれない。あのころの私はまだ幸福だった、ものを知らなかった、と。


散文(批評随筆小説等) 独学の数学者また Copyright 佐々宝砂 2004-03-17 00:00:13
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